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おどるガイコツ

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 103]

昔あるところに、下(しも)の七兵衛と上(かみ)の七兵衛という二人の七兵衛がありました。とても仲良しで、村にいてもたいした仕事はないので、出かせぎに行こうと、そろって遠い町へ出かけました。それから3年がたち、下の七兵衛はよく働いて金をためたのにひきかえ、上の七兵衛は、遊んでばかりいてならず者の仲間に入って悪事をはたらいていました。

「どうだ、そろそろいっしょに故郷(くに)へ帰らないか」と下の七兵衛が上の七兵衛にいいましたが、上の七兵衛は、着るものも金もなく、帰りたくても帰れないありさまでした。「おまえを一人置いとくわけにはいかないな」と、下の七兵衛は上の七兵衛のために、着物を買ってやり、旅費も出してやりました。こうして連れだって帰ってきて、生まれた村が見える峠にきたときです。上の七兵衛の心に、むらむらとよこしまな考えがめばえてきて、下の七兵衛を後ろから、ばっさり斬って殺してしまいました。おまけに、持っていた荷物からお金から全部自分のものにして、そしらぬ顔で村にもどりました。下の七兵衛のお母さんには、「いっしょに帰ろうといったけど、悪い仲間にはいってしまった。もう村にはもどらないといっていた」と、うそをつきました。

でも、そんな上の七兵衛の性根は変わるものでなく、盗んだお金は、まもなく使ってしまって、またあの峠を越えなくてはならなくなりました。下の七兵衛を殺したその場所にさしかかった時のこと。「こら、七兵衛、七兵衛、ちょいと待て」と呼ぶ声がします。ふりかえってみましたが、だれもいません。空耳かと思ったところが、また「七兵衛、七兵衛、ちょいと待て」 と、声が追いかけてきます。それが下の七兵衛の声なのでびっくりしていると、草の中で七兵衛のガイコツがケタケタ歯を鳴らしながら、いいました。「久しぶりじゃねぇか、おれを忘れたか。ここでおめえに切り殺されて、骨身をけずって働いてためた金も荷物も、すっかり盗られた下の七兵衛のなれのはてよ」上の七兵衛は、びっくりして逃げようとしましたが、ガイコツは起き上がって、上の七兵衛の着物のすそをつかんで離しません。

「おまえは、これからどこへ行くつもりだ」「もう、金もなくなったんで、どこかへ働きに出るとこだ。じゃまはせんでくれ」「そうか、相もかわらずこまった男だなぁ。どうだ、おれを連れて銭もうけをしないか」「なにをするんだ」「おれが踊(おど)るから、おまえは踊りにあわせて唄をうたうんだ。そうすりゃ、もとでいらずの金もうけができる」「そりゃ、おもしろそうだな」話がまとまって、七兵衛は、ガイコツを連れて町や村を回り歩きました。「めずらしいガイコツおどりだよ」とふれまわり、七兵衛が唄いだすと、ガイコツがカラカラカラとおどりだすものですから、どこへいっても大入り満員の大盛況。金はたまるし、たいへんな評判をとりました。とうとうこれが、殿さまの耳にも入って、お城でガイコツおどりを見せることになりました。

大きなお庭に呼ばれ、おもむろに七兵衛が唄をうたいだしました。ところがガイコツは、立ち上がろうとしません。「さあ、おどれ、おどるんだ」といっても、ガイコツは動かず、青くなった七兵衛は、次々に唄を変えても、びくともしません。七兵衛がおこって、ムチで打つと、ガイコツはガラガラと立ち上がって、殿さまの前に進み出て、口を開きました。

「殿さま、わたしがおどりをおどらない理由(わけ)を申し上げます。この男は、わたしと二人で旅働きに出た帰り、故郷がすぐそこに見えるという峠で、わたしを殺し、金をみんな盗んだ悪人です。これまで、ガイコツおどりをおどってきたのも、殿さまにお目にかかりたいばかりに、わたしがたくらんだことなのです」「世にもふしぎな訴えごとであるな。ここにいる男をしばりあげよ」

こうして、七兵衛はとらえられ、ガイコツのいった通り全部白状したために、七兵衛はとうとうはりつけにされたのでした。


「10月30日にあった主なできごと」

1850年 高野長英死去…『夢物語』を著して江戸幕府批判の罪で捕らえられるものの脱獄、自ら顔を焼き人相を変えて逃亡していた蘭学者高野長英が、幕府の役人に見つかって自殺をはかりました。

1890年 教育勅語発布…この日「教育に関する勅語」(教育勅語)が発布され、翌日全国の学校へ配布。以来、1945年の敗戦まで55年もの間、皇室中心の国家的教育が進められました。

1938年 火星人来襲パニック…アメリカのラジオドラマで、オーソン・ウェルズ主演『宇宙戦争』(原作H・Gウェルズ)を放送、演出として「火星人がニュージャージー州に侵入」の臨時ニュースを流したところ、本物のニュースと勘違いした人々が大パニックをおこして町から逃げ出す人、発狂する人まで現れました。

投稿日:2013年10月30日(水) 05:29

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)