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『白鯨』 のメルビル

今日8月1日は、船乗りとして波乱万丈の体験をたくさんの作品に残したアメリカの作家メルビルが、1819年に生まれた日です。

ニューヨークの裕福な輸入商の3男に生まれたハーマン・メルビルは、父の蔵書をよく読む少年でしたが、11歳のころに事業の失敗をきっかけに父が亡くなったため、学校を中退するとニューヨーク州立銀行で働きました。16歳で教員の資格を取って小学校の教員になったり、測量土木の技師を志したりするものの、父の借金に家計がひっぱくし、債権者の目から逃れるために夜逃げをすることもありました。

やむなく1839年にイギリス行の水夫になると、1840年、捕鯨船アクシュネット号の乗組員となって太平洋への航海に出ました。しかし、あまりのきびしい環境に嫌けがさし、船がマルキーズ諸島に寄港したとき仲間と脱走。食人種タイピー族に捕らえられて辛酸をなめながらも、オーストラリアの捕鯨船に救われ、タヒチ島で乗組員の暴動に巻きこまれてイギリス領事館に逮捕されるものの、ここも脱走してエイメオ島にのがれるなど、冒険に満ちみちた航海は、1843年4月にイギリス軍艦に救われてハワイへ到着するまで続きました。

同年8月、アメリカ海軍の水兵に採用され、翌1844年に帰郷すると、留守中に家計もよくなり兄たちも独立していて、暮らしに余裕ができたメルビルは、波乱万丈の体験をもとに、1845年に処女作『タイピー』を発表しました。翌年に続編として、主としてタヒチの貧しい人たちの暮らしぶりを描いた『オムー』を発表すると、野蛮といわれる人々の無垢な幸福と、堕落した西洋文明と対比されて注目をあびたことに自信をえて、作家生活に入りました。そして1851年、代表作『白鯨』を発表しました。この作品は、次のような内容です。

モビィ・ディックとあだ名される白いマッコウクジラに片足を食いちぎられたエイハブ船長は、復讐の鬼となって白鯨を追い、数年にわたる捜索の末、ついに日本近海の太平洋でモビィ・ディックを発見・追跡します。3日間の死闘の末、ついに船長はモリを白鯨の巨体に打ち込むことに成功しますが、白鯨に、船とともにも海底に引きずり込まれていくのでした……。

その後も、傑作と評価の高い、人間の心の深淵を掘り下げる『ピエール』、無垢な水夫の物語『ビリー・バッド』などたくさんの作品を残すものの、ごく一部の人たちに評価されただけで生活に困り、ニューヨークの税官吏として1891年に亡くなりました。

ところが、死後30年を経た1921年に再評価の動きがおこり、レイモンド・ウィーバが『ハーマン・メルビル 航海者にして神秘家』が発表されると、いちやく評価が高まり、『メルビル著作集』全16巻の刊行、『白鯨』がグレゴリー・ペック主演で映画化されるなど、アメリカを代表する文学者として世界じゅうに知れわたり、『白鯨』は、世界10大小説に数えられるほどになりました。


「8月1日にあった主なできごと」

1590年 家康江戸城へ…豊臣秀吉から関東4国をもらった徳川家康が、太田道灌の建てた江戸城へ入城。粗末だった城を、じょじょに様式のある城に整えていきました。

1931年 初のトーキー映画…これまでの日本映画はサイレント映画で、スクリーンの横に弁士がついてストーリーを語るものでしたが、初のトーキー映画『マダムと女房』(五所平之助監督) が封切られました。
投稿日:2014年08月01日(金) 05:07

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)