児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  「不戦条約」 とケロッグ

「不戦条約」 とケロッグ

今日12月22日は、第一次世界大戦後、フランスから「米仏間の戦争放棄」の提案を受け、日本を含む15か国による「不戦条約」につなげたアメリカの政治家ケロッグが、1937年に亡くなった日です。

1856年、ニューヨーク州ポツダムに生まれたフランク・ケロッグは、9歳のときミネソタ州に移住し、農場で働きながら法律の勉強をして20歳で弁護士資格をとり、1877年同州のロチェスター市で弁護士を開業、同市の法律顧問を務めるなど、弁護士としてかなりの成功をおさめました。

1904年に司法長官の顧問となり、独占禁止法の制定に活躍し、1911年にはスタンダード石油の反トラスト法訴追を指揮、この業績が評価され、翌1912年にはアメリカ弁護士会会長になりました。さらに、1917年アメリカ合衆国上院にミネソタ州から共和党議員として選出されて6年間議員をつとめ、1923年からイギリス駐在大使となりました。

1925年にクーリッジ大統領の国務長官に任命されたケロッグは、革命を経たメキシコと石油利権に関する紛糾を収め、チリとペルーの領土紛争を調停したりしました。そして、ケロッグの最大の功績は、1928年にフランスの外務大臣ブリアンとともに「ケロッグ・ブリアン協定(パリ不戦条約)」を調印したことでしょう。

これは、ブリアンからアメリカ合衆国との間で、戦争放棄を申し出られたことがきっかけになって、平和維持のためには世界的な協定を結ぼうと提案。同年8月に、日本を含む15か国が「紛争解決の手段として戦争をおこしてはならない」という内容の不戦条約に調印しました。しかし、この条約には違反した場合の制裁規定がなく、不完全なものでしたが、ケロッグは1929年にノーベル平和賞を受賞しました。

その後、1930年からハーグの国際司法裁判所に判事として、国際紛争の解決に活躍しました。「不戦条約」は結果的に、ケロッグの没後「第二次世界大戦」のぼっ発を防ぐことができませんでしたが、大戦後のニュールンベルグや東京で行われた戦争犯罪人に対する裁判で、「不戦条約に違反した侵略戦争が平和に当たる罪」とされ、歴史的な意味をもつことになりました。


「12月22日にあった主なできごと」

1572年 三方が原の戦い…甲斐の武田信玄は、三方が原(浜松市付近)で、徳川家康・織田信長軍と戦い、勝利をおさめました。家康の一生で唯一の敗戦といわれています。

1885年 伊藤博文初代内閣総理大臣…明治政府は、太政大臣制を廃止して内閣制度を開始し、初代の内閣総理大臣に伊藤博文が就任しました。
投稿日:2014年12月22日(月) 05:04

 <  前の記事 「乳幼児教育」 と井深大  |  トップページ  |  次の記事 『エロシェンコ像』 の中村彝  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/3483

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2015年01月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)