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「萩の乱」 と前原一誠

今日12月3日は、倒幕運動の志士として活躍するものの、不平士族たちを率いて「萩の乱」を引き起こして敗れた前原一誠(まえばら いっせい)が、1876年に処刑された日です。

1834年、長門国土原(いまの山口県萩市)に長州藩士の子として生まれた前原一誠は、はじめは佐世八十郎といい、陶器製造や農漁業に従事しました。1857年、久坂玄瑞や高杉晋作らと共に吉田松陰の松下村塾に入門。松陰の死後は長崎で洋学を修めたのち、藩の西洋学問所に学びました。1862年には、尊攘派の久坂玄瑞らと脱藩し、公武合体を唱える長井雅楽の暗殺を計画(未遂)しています。

1863年、「八月十八日の政変」により京を離れて長州藩を頼ってきた三条実美ら七卿のご用掛となると、1864年高杉晋作らと下関に挙兵して藩権力を掌握。翌1865年には前原一誠を名乗って干城隊の頭取となって倒幕活動に尽力しました。長州征伐(幕長戦争)では参謀心得として小倉口に出兵して活躍。1868年の戊辰戦争では、北越戦争に出兵し、会津征討越後口総督付の参謀となり、長岡城占領などに当たりましたが、会津藩の籠城してまでの抵抗ぶりに、武士としての精神と姿勢に共感を寄せていました。

同年9月に越後府判事となって新潟地方の民政を担当しますが、年貢を半分にしたり、信濃川の治水工事を行うものの、中央の指令を無視して独自の判断で物事をすすめることが多く、木戸孝允と対立しました。1872年には参議に登用され、大村益次郎の後任として兵部大輔となるものの、政府方針の「国民皆兵」(徴兵令)に反対して、翌1873年9月に辞職し、帰郷しました。

当時は、新政府の士族に対して不満をもつ者が多く、爆発寸前のような状態でした。征韓論の敗北や1874年2月に江藤新平らをリーダーとした「佐賀の乱」を契機に、不平士族の不満はいっそう高まり、1876年には熊本で「神風連の乱」がおきると、前原は奥平謙輔ら500人の同志とともに萩で兵をあげ、殉国軍として山口県庁を襲う計画でしたが、1週間ほどで政府軍に敗れて捕えられ、この日43歳で斬首されたのでした。


「12月3日にあった主なできごと」

1552年 ザビエル死去…1549年に、初めて日本へキリスト教を伝えたカトリックの宣教師ザビエルが亡くなりました。

1872年 太陽暦の実施…この日旧暦(陰暦)から新暦(太陽暦)に変わり、旧暦明治5年12月3日が、新暦明治6年1月1日となりました。日本では、7紀末以来1200年以上も陰暦が使われてきましたが、幕末から欧米諸国との交渉が始まると、太陽暦と1か月前後の差が不便になり、国際的に広く使われているグレゴリオ暦の採用が急がれていました。

1894年 スティーブンソン死去…冒険小説『宝島』によって名をなし『ジキル博士とハイド氏』『誘惑されて』など独自の文学を開いたイギリスの作家スチーブンソンが亡くなりました。
投稿日:2014年12月03日(水) 05:15

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)