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「修正社会主義」 のベルンシュタイン

今日12月18日は、ドイツ社会民主主義の理論家で、「革命によることなく議会を通じて社会主義の実現」を提唱したベルンシュタインが、1932年に亡くなった日です。

1850年、ベルリンにユダヤ系のブリキ職人の子として生まれたエドアルド・ベルンシュタインは、家が貧しかったために十分な教育を受けることができず、16歳で銀行員の見習いになり、独学で能力を伸ばし、数年かけて正式な銀行員となりました。

1872年に、ドイツ社会民主党に入党し、ベルリン支部の活動的な党員となりましたが、1878年にビスマルクが「社会主義者鎮圧法」を出したことで党が非合法となったため、銀行を辞めてスイスのチューリッヒに亡命しました。機関誌「社会民主主義者」の編集にたずさわるうち、やがて主筆となります。機関誌が秘かにドイツに持ち込まれるのを知ったビスマルクは、1880年にスイスに圧力をかけたことから、ベルンシュタインはスイス政府から国外退去命令を受けロンドンに亡命、当時やはりロンドンに亡命していた晩年のエンゲルスとふれあい、党でも指折りの理論家に成長していきました。

いっぽう、イギリス労働運動を研究するうち、設立まもない社会主義組織「フェビアン協会」のバーナード・ショーやシドニー・ウェッブらと親しく交わり、マルクス主義理論は、実情に合わないと考えるようになります。そして1896年以降、党の機関紙「ノイエ・ツァイト(新時代)」に修正主義論争につながる「社会主義の問題」と題する一連の論文を発表し、古典的マルクス主義を批判しました。さらに、1899年には「社会主義のための諸前提と社会民主主義の諸任務」を発表して、革命によってではなく、議会を通じて社会主義を実現しようと呼びかけました。これに対して、ローザ・ルクセンブルクやカール・カウツキーらから「修正主義」と非難され、鋭く対立しました。

1901年、社会主義者鎮圧法の廃止によりドイツに帰国したベルンシュタインでしたが、1903年、ドレスデン党大会で修正主義否認が決議され、ベルンシュタインの主張は公式には敗北するものの、運動面では右派からは根強い支持を得つづけました。

また、1902年に初当選してから1928年まで、帝国議会議員を務めながら、社会主義や労働運動の歴史の研究につとめ、『ベルリン労働運動史』などを残して亡くなりました。しかし、第2次世界大戦後の西ドイツに、社会民主党が再組織されたときは、ベルンシュタインの理論の多くが党の綱領に組み入れられました。


「12月18日にあった主なできごと」

1779年 平賀源内死去…江戸中期の蘭学者、博物学者で、エレキテルの製作や燃えない布の発明、小説や戯作家としても活躍した平賀源内が亡くなりました。

1891年 足尾鉱毒告発…田中正造はこの日の議会で、足尾鉱山の選鉱カスによる鉱毒、山林の乱伐、煙害や排水により、渡良瀬川の洪水と結びついて、沿岸一体の農地を荒廃させた「足尾鉱毒問題」をとりあげて、事態の重大性を訴え、銅山の即時営業停止と農民の救済を政府にせまりました。

1914年 東京駅開業…新橋─横浜間にわが国はじめての鉄道が敷かれて以来、東京では新橋が始発駅でしたが、この日東京駅の開場式が行なわれ、東海道本線と電車駅の始発駅は、東京駅となりました。

1956年 国際連合に加盟…国際連合の総会が開かれ、満場一致で日本の国連加盟を承認し、80番目の加盟国になりました。1933年に国際連盟を脱退してから23年目にして、ようやく国際社会に復帰しました。
投稿日:2014年12月18日(木) 05:55

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)