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「アンモニア合成法」 のハーバー

今日12月9日は、空気中の窒素と水素を混ぜ合わせ、アンモニアを作ることに成功した物理化学者、電気化学者のハーバーが、1868年に生まれた日です。

ドイツ(いまのポーランド・ブロツワフ)にユダヤ系染料商人の子に生まれたフリッツ・ハーバーは、ギムナジウム(中高一貫校)のころから、自宅を化学の実験室に使うほど化学に興味を示し、1886年からベルリン、ハイデルベルク、チューリッヒ各大学で本格的に化学を学び、1894年に南ドイツのカールスルーエ工科大学の助手となりました。その後講師・助教授をへて、1906年に同大学の教授となって、物理化学と電気化学を教えました。

ハーバーの最大の業績は、窒素と水素を混ぜ合わせ、アンモニアを作ることに成功したことです。1904年ころから、化学肥料の原料として、窒素と水素からアンモニアを作る研究をはじめ、圧力・温度・触媒などの条件を少しずつ変えて実験を行い、1908年に、150〜200気圧の圧力と摂氏500度の温度、オスミウム触媒という条件を見つけ出し、実験室で成功させました。これが、「アンモニア合成法」とか「空中窒素固定法」と呼ばれるもので、これをバスフ社に教え、カール・ボッシュ率いる研究チームが採算のとれる装置(ハーバー・ボッシュ法)を開発し、1913年に工業化に成功、今日のアンモニア合成工業の先駆をなした功績により1918年、ノーベル化学賞を受賞したのでした。

1911年ハーバーは、ベルリンのカイザー・ウィルヘルム研究所の初代所長に任じられ、第1次世界大戦がはじまると、ドイツ陸軍化学戦本部長として、化学兵器(毒ガスなど)の開発に指導的な役割をはたしました。この研究に対し、化学の博士号を持つ教養のある妻クララは、非人道的なものとして強く反対し、1915年に自殺して抗議しました。

1924年には来日し、各地で講演して日独文化交流に尽力するなど、多方面にわたって国家的な功労をはたしました。ところがドイツは、愛国者のハーバーに無慈悲な行為をしました。ナチスによるユダヤ人追放です。1933年にカイザー・ウィルヘルム研究所を追われただけでなく国外追放され、ハーバーは、ドイツとはライン川をはさんだスイスのバーゼルで、翌1934年、失意のうちに生涯を終えたのでした。


「12月9日にあった主なできごと」

1860年 嘉納治五郎誕生…講道館柔道の創始者であり、日本のオリンピック初参加に尽力するなどスポーツの海外への道を開いた嘉納治五郎が生まれました。

1916年 夏目漱石死去…『坊ちゃん』『吾輩は猫である』『草枕』などの小説で、森鴎外と並び近代日本文学界の巨星といわれる夏目漱石が亡くなりました。

1945年 農地改革…連合国軍総司令部(GHQ)は、占領政策として経済構造の民主化をはかりましたが、そのひとつが、この日指令された「農地改革に関する覚書」でした。1947年から49年の間に、全国260万町歩の小作地のうち200万町歩が自作農に解放され、地主制はほぼ壊滅することになりました。
投稿日:2014年12月09日(火) 05:06

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)