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「日本プロレスの父」 力道山

今日12月15日は、終戦後の日本プロレス界の礎を築き、本放送が始まったばかりのテレビで、絶大な人気を誇った力道山(りきどうざん)が、1963年に亡くなった日です。

1924年長崎県大村市生まれで、本名百田光浩とされていた力道山でしたが、本当は日本占領下の北朝鮮で3人兄弟の末っ子に生まれ、本名金信洛、朝鮮相撲の名手として知られていました。現地で働く日本人警察官に、力士になるように勧められ、1940年に二所ノ関部屋に入門しました。

まもなく初土俵をふむと百田家の養子となり、得意の張り手を武器に1946年11月場所に入幕、入幕2場所目の1947年6月場所に前頭8枚目で9勝1敗の星をあげています。1949年5月場所には関脇に昇進するものの、1950年9月場所を前に突然、自ら髷(まげ)を包丁で切り落として廃業しました。

その後、ナイトクラブでの喧嘩が元で、ハワイ出身の日系人レスラーのハロルド坂田と知り合いました。意気投合した力道山は、坂田に勧められて練習を見るうち、プロレス転向を決意、1952年にアメリカへ渡り、ホノルルで猛特訓を受けた後、北米各地を転戦します。300勝4敗のすばらしい成績を残して日本に凱旋帰国した力道山は、1953年日本プロレス協会を設立しました。そして1954年、世界タッグ・チャンピョンのシャープ兄弟を招いて、柔道出身の木村政彦と組み、全国を14連戦した初興行は、1953年にテレビ放送が始まったばかりの追い風を受け、大成功をおさめました。

おなじみの黒タイツ姿と伝家の宝刀「空手チョップ」で、空前のブームを巻き起こした力道山は、翌1954年にタッグを組んだ木村と戦って圧勝し、1957年には「鉄人」といわれた世界チャンピョンのルー・テーズを招きました。後楽園球場で行われた試合は引き分けに終ったものの、その時のテレビ実況中継の視聴率は87%を記録したと伝えられています。翌1958年には、力道山は悲願のルー・テーズを破ってインターナショナル・ヘビー級王座を獲得しました。

その後、アントニオ猪木やジャイアント馬場ら、多くの後進を育て日本のプロレス界を隆盛に導きましたが、1963年12月のこの日、暴力団の縄張り争いに巻き込まれ、登山ナイフで腹部を刺されて急死してしまいました。


「12月15日にあった主なできごと」

1859年 ザメンホフ誕生…世界でおよそ数十万人の人が使用している人工言語・エスペラントの創案者ザメンホフが生まれました。

1945年 婦人参政権…この日の帝国議会で、男女同権の新選挙法を可決、翌日公布されました。翌年4月、戦後初の衆議院選挙の結果、日本初の女性議員39名が誕生しました。

1966年 ディズニー死去…アニメキャラクター「ミッキー・マウス」を生みだし、いまや世界的なエンターテイメント企業となったウォルト・ディズニー・カンパニーを創業したディズニーが亡くなりました。
投稿日:2014年12月15日(月) 05:56

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)