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『男はつらいよ』 の渥美清

今日8月4日は、人情あふれる車寅次郎(フーテンの寅)を、27年間48作品に渡って演じた国民的スターの渥美清(あつみ きよし)が、1996年に亡くなった日です。

1928年、いまの東京上野に生まれた渥美清(本名・田所康雄)は、貧しく病弱な幼・少年時代をすごしました。そのため学校は欠席がちで、欠席の日は一日じゅうラジオを聞いて落語に興味を持ち、覚えた落語を学校で披露すると大変な評判になったとのちに語っています。1942年に巣鴨中学に入学したころは、不良少年として知られるようになり、学徒動員で板橋の軍需工場へかり出され、不良仲間の親分格として仲間を率いていたようです。

1945年3月の東京大空襲で自宅が被災して焼け出されると、終戦直後から上野に通い、テキ屋(独特の口上や芸で商う露天商)の手伝いや、チンピラ気取で闇屋の買い出し係をつとめたりしました。1946年、知り合いのつてで旅回りの軽演劇一座の幕引きとなり、やがて端役ながら舞台に立って喜劇役者の道を歩みました。いくつかの劇団を転々とした後、1953年、ストリップ劇場として有名な浅草フランス座専属になります。当時のフランス座は、長門勇、東八郎、関敬六らのちに第一線で活躍するコメディアンがおり、コント作家としては井上ひさしも出入りしていました。

ところが1954年、肺結核のため右肺を切除する大手術を受けました。約2年間の療養生活を経て復帰すると、フランス座での活躍が認められ、1958年『おトラさん大繁盛』での映画デビューにつづき、1959年『すいれん夫人とバラ娘』でテレビデビューをはたします。1961年からはNHKのバラエティー番組『夢であいましょう』やコメディ『若い季節』に出演するようになると、コメディアン渥美清の名は、いっきに全国に広まりました。やがて、映画『あいつばかりが何故もてる』『拝啓天皇陛下様』『喜劇列車シリーズ』『ブワナ・トシの歌』、フジテレビ連続ドラマ『大番』、TBSテレビドラマ『渥美清の泣いてたまるか』など、渥美を主人公にした作品がつぎつぎにヒットします。

そして1968年10月、フジテレビで山田洋次脚本のドラマ『男はつらいよ』が翌年3月までの半年間放送されると、渥美演じるユニークな寅は、爆発的な人気者となりました。渥美のテキ屋時代の思い出をヒントに生まれた作品でしたが、最終回で「ハブに噛まれて寅さんが死ぬ」という結末に視聴者からの抗議が殺到します。脚本を書いた山田は、1969年に本人いわく「罪滅ぼしの意味も含めて」松竹で『男はつらいよ』の映画を公開します。これが予想に反し空前の大ヒットとなり、続く『続・男はつらいよ』も大好評で、以降、正月とお盆の季節に1作ずつ公開される人情喜劇としてシリーズ化され、1995年『男はつらいよ・寅次郎紅の花』まで、渥美は27年間48作にわたって「寅」を演じつづけました。まさに、「国民的映画」として日本じゅうの老若男女に親しまれ、映画シリーズとしては世界最多の作品として、ギネスブックにも載る記録をなしとげたのでした。


「8月4日にあった主なできごと」

1830年 吉田松陰誕生…佐久間象山らに学び、1857年に私塾「松下村塾」を主宰し、1859年の「安政の大獄」で刑死した長州藩士の吉田松陰が生まれました。松陰は、幕末から明治にかけて活躍した高杉晋作、伊藤博文らおよそ80人の門下生を育てました。

1875年 アンデルセン死去…『マッチうりの少女』『みにくいあひるの子』『人魚姫』など150編以上の童話を生み出し、「童話の王様」と讃えられるアンデルセンが亡くなりました。

1944年 アンネ一家逮捕される…『アンネの日記』を書いたドイツ系ユダヤ人アンネ・フランクの一家が、オランダ・アムステルダムの隠れ家に潜行生活中、ナチスの秘密警察ゲシュタボに逮捕されました。
投稿日:2014年08月04日(月) 05:25

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)