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「永遠のマドンナ」 マリリン・モンロー

今日8月5日は、「20世紀最大の映画女優」「セックス・シンボル」といわれた映画女優のマリリン・モンローが、1962年に亡くなった日です。

1926年、アメリカの西海岸ロサンゼルスに私生児として生まれたマリリン・モンロー(本名 ノーマ・ジーン・モーテンソン)でしたが、母は娘を育てる余裕がなく、短期間いっしょに暮らしただけで知人の家に転々と預けられ、9歳のときに孤児院に引き取られました。

わずか16歳で最初の結婚をするものの2年で別れると、たまたま知り合ったカメラマンに写真をとられ、それが陸軍の機関誌に掲載されたことが、女優への道のきっかけとなりました。新進の写真家アンドレ・ディーンズにモデルとしての才能を見いだされると、ピンナップ・ガールが売物の雑誌に、髪をゴールデン・ブロンドに染めたマリリンは次第に人気を高めていきました。

マリリンの名が世界に知れるようになったのは、1953年の映画『ナイアガラ』で、ヒロインを演じてからでした。不倫相手と夫の殺害を計画する悪女役でしたが、肩の開いた赤いドレスで豊かな胸をのぞかせ、腰を振って歩く姿は「モンロー・ウォーク」といわれ、世の男性の注目を集めると、仕事が続々と舞い込み、『紳士は金髪がお好き』『百万長者と結婚する方法』も大ヒットして、いちやくトップスターの座に昇りつめます。1954年1月には、ニューヨーク・ヤンキースに所属し、最も知名度の高いプロ野球選手だったジョー・ディマジオと結婚すると、2月には読売ジャイアンツの招きもあって新婚旅行を兼ねて日本を訪れ、大歓迎を受けました。好奇な目で見つめる記者たちに「夜寝るときは何を身につけるか」と質問され、「シャネルの5番よ」(香水)といった名セリフはよく知られています。

もっとも名高い映画は、1955年に公開された『七年目の浮気』でしょう。地下鉄の通風口からの風でスカートがめくりあがるシーンは、「セックス・シンボル」としてのマリリンの人気を決定づけました。わずか9か月でディマジオと離婚すると、1956年には劇作家のアーサー・ミラーと結婚するものの、2度も流産を経験して精神的な不安定な状態が続き、睡眠薬を飲み過ぎて精神病院に入ったりしました。

それでも、1959年にはマリリンの最高傑作といわれるコメディ映画『お熱いのがお好き』が公開されますが、ハリウッドの体制になじむことができず、1961年にミラーと離婚するなど精神的に追い詰められ、1962年のこの日、ロサンゼルス郊外の自宅寝室で、自殺とも他殺ともつかぬ死体姿で発見されました。まだ36歳、人気絶頂にあっただけに、世界じゅうに衝撃がかけめぐりました。


「8月5日にあった主なできごと」

1864年 下関戦争…イギリス・フランス・オランダ・アメリカ4か国の連合艦隊が、長州藩(山口県)に戦争をいどみました。3日間の戦いの末に連合艦隊が完勝しました。攘夷の無謀さをはっきりと知った長州は、イギリスに接近し、欧米から新知識や技術を積極的に導入して、軍備を近代化していきました。同時期に近代化路線に転換した薩摩藩とともに、倒幕への道を一気に進むことになりました。

1895年 エンゲルス死去…マルクスと協力し、科学的社会主義を創始したドイツのエンゲルスが亡くなりました。
投稿日:2014年08月05日(火) 05:57

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)