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「西シベリアの征服者」 エルマーク

今日8月6日は、シビル・ハン国(西シベリア)を滅ぼしてモスクワ公国の領土とするものの、志なかばに倒れたロシアの伝説的英雄エルマークが、1585年に亡くなった日です。

エルマークは、ロシアの辺境開発や防備に活躍していた屯田兵(兵士にもなる農民)として知られるコサックでしたが、ボルガ川上流を航行する船を襲う「略奪コサックの首領」として知られるまでの経歴は、まったく不明です。

当時、ロシア帝国形成の中心となるモスクワ公国は、オビ地方の開発を進めていて、15世紀から勃興した大地主のストロガノフ家は、ウラル地区の製塩業・鉱山業を中心に勢力を広げた商工業者でもありました。イワン4世(雷帝)の特許状を得て、シベリア開発を本格的に着手したたストロガノフ家は、1577年ころからエルマークらたくさんのコサックを雇い入れ、カマ川上流の要塞に派遣して、敵対するシビル・ハン国から同家の領地を守る仕事に就かせました。

そして1581年、同家より派遣された「シベリア遠征隊」の隊長に抜てきされたエルマークは、1600名(3000名説もある)を引き連れ、ウラル山脈を越えて迎えうつシビル・ハン国軍を「イルトゥイシ河畔の戦い」で激戦のすえに打ち破り、翌82年にはハン国の首都シビルを占領、征服地をイワン4世に献じてその援助を求めました。しかしエルマークは、援軍がくる前に夜襲を受けて負傷し、イルトゥイシ河支流に追いつめられて溺死してしまいました。

のちにエルマークの大遠征は、ロシア民謡に「シベリアの聖者」としてあがめられ、戯曲にもなっています。


「8月6日にあった主なできごと」

1660年 ベラスケス死去…スペイン絵画の黄金時代を築いた17世紀を代表する巨匠ベラスケスが亡くなりました。

1881年 フレミング誕生…青かびからとりだした物質が大きな殺菌力をもつことを偶然に発見し、ペニシリンと命名して世界の医学者を驚かせたフレミングが生まれました。

1945年 広島に原爆投下…アメリカ空軍B29爆撃機が、人類史上はじめて原子爆弾を広島市に投下しました。爆心地から半径500m以内の人々はほとんどが即死、2km以内の建物は全壊、爆発とそののちの火災で、市内95000戸の9割が灰となりました。市民およそ31万人のうち、罹災者は17万人をこえ、死者および行方不明者92000人以上、重軽傷者123000人以上と、日本占領軍総司令部(GHQ)は翌年発表しましたが、じっさいの死者は1945末までに14万人をこえていたといわれます。
投稿日:2014年08月06日(水) 05:24

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)