児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  「走る哲人」 アベベ

「走る哲人」 アベベ

今日8月7日は、オリンピックのマラソン史上初の2大会連続優勝を果たしたエチオピアのアベベが、1932年に生まれた日です。

エチオピアの貧しい農家に生まれたアベベ・ビキラは、小学校に1年通っただけで家業の手伝いをしました。19歳の時、貧しさから抜け出そうと皇帝の親衛隊に入り、首都アディスアベバの部隊で訓練を受けるうち、初めて陸上競技にであいました。足の速さが上官から注目されるようになると、1957年5月の陸上競技大会に出場し、マラソンで2位に入賞したことで、ローマオリンピックの陸上強化選手に選ばれます。スウェーデン出身の専任コーチのニスカネンのもとで科学的な練習を重ね、同年7月のローマオリンピックの国内予選会でも2位となり、マラソン代表に選出されました。

1960年9月、ローマオリンピックのマラソンがはじまったとき、観客はアベベが裸足(はだし)で走っているのにびっくりしました。さらにびっくりしたのは、そのアベベが15kmを過ぎると先頭集団に入り、30kmでトップに出たことでした。「あれは何者だ」という声が沿道からあがり、プロフィールにもほとんど記載のないアベベが、ゴールのコンスタンティヌス凱旋門に入ってきたときは、世界各国の報道関係者を騒然とさせました。当時の世界最高記録となる2時間15分16秒2で優勝したアベベは、ゴール後も平然と「余力はある。もっと走れといわれれば、まだ20kmぐらい走れる」と語り、いちやく「裸足の王者」として、世界じゅうにその名をとどろかせました。

そして4年後の1964年10月21日、アジア初の東京オリンピックのフィナーレを飾るマラソンが始まりました。68人の選手が代々木の国立競技場をスタートします。アベベは前回と違って、世界じゅうから注目が集まっていましたが、競技場を出たときは最下位でした。ところが、10kmあたりでトップグループに入ると、20km付近からは独走態勢に入り、当時の世界最高記録を1分44秒もちぢめる2時間12分11秒2の世界最高記録で再び金メダルを獲得しました。マラソン種目での二連覇はアベベが初の快挙だっただけでなく、それ以後のオリンピックのマラソンで世界最高記録を樹立したランナーは出ていません。アベベはゴール後に整理体操をはじめ、7万人の観衆を驚かせたのでした。苦しそうな表情をまったく見せず、淡々と走る姿から「走る哲人」といわれ、後にアベベは「まだあと10kmは走れた」と語っています。

その後のアベベは、体調の悪さからメキシコ五輪で途中棄権してから半年後の1969年、自動車事故で下半身不随となってしまいました。その後パラリンピックに出場して話題となりましたが、4年間の車いす生活の末、1973年10月、41年の生涯を閉じました。


「8月7日にあった主なできごと」

1831年 十返舎一九死去…弥次郎兵衛と喜多八(やじさん・きたさん)の旅行記『東海道中膝栗毛』などで知られる江戸時代後期の戯作者・十返舎一九が亡くなりました。

1941年 タゴール死去…『ギーターンジャリ』の詩でアジア初のノーベル文学賞を受賞し、東洋最大の詩人と讃えられたタゴールが亡くなりました。

1942年 ガナルカナル島の戦い…アメリカ軍の海兵隊が西太平洋ソロモン諸島のガナルカナル島とツラギ島に上陸し、日本軍との戦いがはじまりました。激しい闘いのすえ日本軍は21日までにほぼ壊滅し、ミッドウェー海戦とともに、太平洋戦争における攻守の転換点となった戦闘といわれています。
投稿日:2014年08月07日(木) 05:53

 <  前の記事 「西シベリアの征服者」 エルマーク  |  トップページ  |  次の記事 「ヤマハ」 の山葉寅楠  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/3388

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2015年01月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)