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「ヤマハ」 の山葉寅楠

今日8月8日は、日本楽器製造(現・ヤマハ)を創業し、洋楽器の国産化に尽くした山葉寅楠(やまは とらくす)が、1916年に亡くなった日です。

1851年、紀州(和歌山)藩士の子として和歌山城下に生まれ山葉寅楠は、父が天文係を務めていたこともあり、幼少のころから父の器具や機械に触れたことで機械に関心を持つようになりました。明治維新後の1871年、長崎に出て英国人のもとで時計の修繕法を学び、その後大阪の医療器具店に勤め医療器具の修理工として働きはじめました。1884年に浜松支店に移ると、医療器具の修理だけではなく、時計をはじめとした機械器具全般の修理を請け負うようになります。

そんなある日、浜松尋常小学校からオルガン修理の依頼がきました。小学校教育に唱歌が必須科目となり、購入した高価な輸入オルガンが突然鳴らなくなったというのです。オルガンを慎重に分解して修理をした寅楠は、その構造を図面に写すと、オルガンの国産化を決意しました。飾り職人(貴金属加工職人)の河合喜三郎と協同してオルガンの製作に取りかかり、ありあわせの材料を使って2か月後、国産第1号となるオルガンを完成させました。それを音楽教育の総本山である音楽取調所(のちの東京芸大音楽部)へ持ちこむことにしました。鉄道のない時代です。二人は、東京までの250kmを天秤棒でオルガンをかついで運び、音楽取調所の伊沢修二(のちに芸大初代学長)に審査をたのみました。

ところが、「調律が不正確で、使用できない」といわれてしまいました。正式に音楽を学んだことのなかった寅楠には、音階の知識がなかったためでした。寅楠の情熱にうたれた伊沢は、寅楠に1か月間音楽理論を教えてくれました。浜松にもどって再挑戦し、完成したオルガン第2号を試奏した伊沢は「前回の欠点はすべて修正された。舶来に代わる」と高く評価したのです。──これがヤマハオルガン誕生の瞬間でした。

1889年に山葉風琴(ふうきん)製造所を設立。1891年には河合喜三郎らと共同で山葉楽器製造所を設立、1897年には製造所を「日本楽器製造」に改組して初代社長となったばかりか、同年にはピアノの国産化にも成功し、日本の音楽教育に大きな功績を残しました。

なお、現在の「ヤマハ」は、1987年に「日本楽器製造創業100年」を記念して、社名変更されたものです。


「8月8日にあった主なできごと」

1506年 雪舟死去…日本水墨画の大成者として知られる室町時代の画僧・雪舟が亡くなりました。

1962年 柳田国男死去… 『遠野物語』『雪国の春』『海南小記』などを著し、日本民俗学を樹立した柳田国男が亡くなりました。

1973年 金大中事件…韓国の政治家で、後に第15代韓国大統領となる金大中が、宿泊している東京のホテルから拉致される事件がおこりました。5日後、ソウル市内の自宅前で発見されました。
投稿日:2014年08月08日(金) 05:22

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)