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「洞ヶ峠」 の筒井順慶

今日8月11日は、織田信長、豊臣秀吉に従い、大和郡山城主となった武将の筒井順慶(つつい じゅんけい)1584年に亡くなった日です。

1549年、大和国(今の奈良県)の戦国大名の子として筒井城に生まれた筒井順慶(幼名・藤勝)は、父の病死により、わずか2歳で家督を継ぎました。当時の大和は松永久秀が隆盛を極めており、1564年に後見人だった叔父が亡くなると、松永軍に攻め込まれ、筒井城を追われてしまいました。

1566年、順慶は反撃を開始し一時は筒井城を奪還するものの、台頭してきた織田信長に近づいて勢力を強めた久秀に敗れて、大和国や河内国(今の大阪)を流浪しながら、興福寺宗徒となるなど、久秀と渡り合うための布石を打っていきます。そして1571年8月、久秀軍と大規模な合戦に挑み、順慶はふたたび筒井城を奪還することに成功しました。

1574年ころには織田信長と近づき、信長と久秀の間が不和になるにしたがって、大和における立場を逆転します。1576年信貴山城で久秀を破った手柄により大和一国を与えられ、1580年には大和郡山城を築きました。同年、信長の命により大和郡山城以外の城をすべて破却し、大和一帯の検地を、上使の明智光秀とともに尽力しました。その功により、郡山城を引き渡され、改めて大和一国の城主を確認されました。

1582年6月、光秀が信長を討った「本能寺の変」がおこり、まもなく秀吉が光秀を破る「山崎の戦い」がはじまり、順慶は「洞(ほら)ヶ峠」(大阪と京都との府境)に陣をとって戦況を見守って、光秀の援助要請に応じませんでした。そのため、「洞ヶ峠の順慶」といわれ、二股をかけて有利なほうに味方をすることを「洞ヶ峠」という故事が生まれました。しかし、日和見主義の代名詞として後世に用いられた事実はなく、順慶は茶湯、謡曲、歌道など文化面に秀でた教養人で、仏教への信仰も厚く大和の寺院を手厚く保護したといわれています。


「8月11日にあった主なできごと」

1338年 室町幕府誕生…足利尊氏は、北朝の光明天皇から征夷大将軍に任命され、室町幕府を開きました。いっぽう、後醍醐天皇は吉野に逃れて南朝を建てて、その正当性を主張していました。そのため、政権としての室町幕府はなかなか安定せず、3代将軍足利義満の時代になって、ようやく機構的な体裁が整いました。

1892年 吉川英治誕生…『宮本武蔵』『新・平家物語』『新書太閤記』など人生を深く見つめる大衆文芸作品を数多く生み出して、国民的作家として高く評価されている吉川英治が生まれました。

1919年 カーネギー死去…「鋼鉄王」とよばれた大実業家であり、公共図書館や大学、カーネギーホールの建設など公益事業に力をそそいだ社会事業家カーネギーが亡くなりました。
投稿日:2014年08月11日(月) 05:16

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)