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手まね問答

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 99]

むかし、ローマ法皇の命令で、えらい司教がいろいろな国の修道院を視察にまわっていました。あるいなかの修道院に、司教がもうすぐ到着するという知らせがとどくと、年老いた院長は、顔色を変えました。この司教は大変な賢者である上に議論にすぐれ、しかも手まねで議論するといううわさでした。その手まねにうまく対応できない修道院は、日ごろの精進が疑われるといわれていたからです。

「神父のみなさん、どうじゃろう。どなたでもよろしいので、司教さまの問答のお相手を引き受けてくれる人は、名乗り出てくれませんかな。最近わしは、年のせいで動作がのろくなってしまったので、とても自信がありませんのでな」と、集まった神父たちにたずねました。ところが、どの神父たちも、ゆずりあっているばかりで、相手をつとめようという人があらわれません。でも、院長も神父たちも、問答をのがれる知恵もうかばず、頭をかかえるばかりでした。

この修道院には、下働きをしながら神父をめざしているひとりの若者がいました。無教養ですが、ほがらかで、人がらがよいため、院長にかわいがられていました。若者は、おどおどしている神父たちの顔色を見て、院長にたずねました。「おそれながら、おたずねしますが、なにかこまったことでもあるんですか。わたしは、神父さまたちが頭をたれて、うかない顔つきしてるのを、はじめて見ました」「えらい司教さまと、手まね問答の相手をつとめる者がいないので、こまっておるのじゃよ」「手まねで話しゃいいんですね。おもしろそうだなぁ。その役目、わたしにやらせてくれませんか?」院長も、神父たちも、これには大喜びです。
 
よく朝早く、司教が修道院に到着し、院長はじめ、神父たちは列を作ってお迎えしました。下働きの若者も、神父の服を着せてもらって、列のいちばんうしろにひかえていました。司教は、にこりともせず、口もひらかず、ただあいさつのしるしに、軽くうなずくだけでした。やがて、おそろしい食事の時間がやってきました。というのも、この司教は、食事の時間に討論をはじめるのが好きだったからです。食前のお祈りがすむと、司教は立ちあがって、指を1本さし出しました。いよいよ、問答のはじまりです。

若者は、司教の前にすすみでると、指を2本さし出しました。つぎに司教は、指を3本さしだします。これに対して若者は、げんこつをさしだして、これに答えました。院長も神父たちも、かたずをのみながら、ふたりのやりとりを見ています。つぎに司教は、テーブルの上からリンゴをつかむと、ゆっくり若者に投げるかっこうをしました。若者もテーブルからパンをとりあげると、頭の上にさしだしました。

すると司教は、満足げなようすでにっこりうなずくと、席につきました。これを見て、院長も神父たちも、意味がわかりませんでしたが、司教が笑顔をみせたので、一同ほっと胸をなでおろしたのでした。司教は、上きげんで、院長や神父たちと言葉をかわしながら、おいしい食事をこころゆくまで楽しみました。

つぎの日の朝早く、司教は修道院をたちましたが、帰りぎわに院長にいいました。「あなたはしあわせなお方だ」「それは、どうしてです?」「すえたのもしい若い神父がおられる。わたしの出した問題に、みごとに答えられた。神につかえるまことの資格をもったお方だ」「さようですか、まことにおはずかしながら、あの問答は、わたしにはさっぱりわかりませんでした」「では、説き明かそう。わたしが指1本だして『神はただおひとり』といったところ、あの神父は『いかにも神から命をいただいていますが、救いは神の子です』と、指を2本だされた。そこでわしは指を3本だして『父なる神と神の子に、精霊を加え、三位(さんみ)であろう』というと、『まことにさよう、三位一体である』と、こぶしをにぎられた。そこでわたしは、リンゴをとって、『われわれの祖先アダムが、神のいいつけにそむいて禁断の実を食べたから、人類に死がもたらされた』といったら、あの神父は『アダムの罪はみとめるが、ご聖体をいただくことによって、人間の罪はまぬがれる』と、ご聖体にかわるパンをささげられた。まったくあざやか、おそれいった。院長、あの若い神父をたいせつにしてあげてください」

司教が帰ったあと、院長は庭のそうじをしている若者をみつけ「おかげで、おまえに救われたよ。ありがとう」「院長さま、お礼にはおよびませんよ。むずかしくもなんともありませんでした。学問のある司教さまだって、わたしたちと、おんなじ気持ちをもってるってことがわかりました。司教さまは『わしのいうことがわからなけりゃ、尻の穴に1本つっこんでくしざしにするぞ』といわれたんで、『あなたが1本なら、わたしは2本ぶっとおしてやる』と2本指を出しました。すると司教さまも、負けずぎらいだとみえて、3本さすっていうから、それじゃわたしは、このげんこつくらいの穴をあけてやるっていったんです。そしたら司教さんは、リンゴをもって『なまいきなやつめ、おまえのようなやつには、リンゴを投げつけるぞ』っていうんで、それじゃしかたがないから、パンで防ぎますってやっただけです」……だって。


「9月13日にあった主なできごと」

1592年 モンテーニュ死去…世界的な名著 「随想録」の著者として、400年以上たった今も高く評価されているフランスの思想家モンテーニュが亡くなりました。

1733年 杉田玄白誕生…ドイツ人の学者の書いた人体解剖書のオランダ語訳『ターヘル・アナトミア』という医学書を、苦労の末に『解体新書』に著した杉田玄白が生まれました。

1975年 棟方志功死去…仏教を題材に生命力あふれる独自の板画の作風を確立し、いくつもの世界的な賞を受賞した版画家の棟方志功が亡くなりました。

投稿日:2013年09月13日(金) 05:25

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)