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動物の恩返し

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 100]

むかし、子どものいない夫婦がありました。あるとき、おかみさんが近くの川で魚をとっていると、網に小さな金色のカメがかかりました。心やさしいおかみさんは、カメを逃がしてやり、別のところで魚をとっていると、また、おなじカメがかかりました。また逃がしてやろうとすると、そのカメが「おねがいですから、ぼくを飼ってくれませんか」といいます。カメが口を聞いたのでビックリしましたが、「いいわ、家には子どもがいないから、おまえを飼ってあげましょう」と、家に連れ帰りました。

だんなもよろこんで、ふたりは金色のカメを、自分たちの子どものようにかわいがりました。そのうち、このカメがいろいろなことを予言する能力があることがわかりました。そんなある日、「お父さん、お母さん、近いうちに大洪水がおこって、このあたりは水びたしになります。いかだと食べものを用意してください」といいます。

夫婦は、金色のカメのいう通り、いかだを作り、食べものを用意しておきました。まもなく大雨がふりはじめ、一週間もすると、川の水があふれだし、野も畑も水につかっていきました。そしてついに、高台にある家も水びたしになって、人間も動物たちも水に流されてきました。でも、夫婦のいかだだけは、大きな木にくくりつけられていたので、無事でした。「そこへ、1ぴきのトラが流されてきました。どうしようかとカメにたずねると、「トラさんならいいでしょう」というので、トラをいかだにあげてやりました。こんどは、大きなヘビが流されてきます。ヘビもおなじように、いかだにのせてあげました。

こんどは人間が流されてきて、「助けてください」といいます。カメは、「人間なら、助けないわけにはいきませんね。でも、もうそろそろ、水がひきますよ」。カメのいった通り、すぐに水はひき、みんなはもとの地上に帰っていきました。トラもヘビも人間も、夫婦とカメに感謝し、頭をさげながら、別れていきました。

それから、数か月後のことです。この国の王女がとなりの国から帰るとちゅう、森の中で一夜をすごしました。そのとき、1ぴきのトラがしのびよって、王女の宝石箱を盗みだしました。それを夫婦のところへ持っていき、このあいだのお礼だというしぐさをして、おいていきました。夫婦は喜んでこれをもらい、部屋に飾っておきました。いっぽうお城では、家来たちが盗まれた王女の宝石箱を探しまわっていましたが、どんなにさがしても見つかりません。しかたなく、「宝石箱を探し出した者には、ほうびをとらせる」とい立て札をたてました。

そんなある日、洪水のときに助けられた男が、夫婦の家にやってきて、宝石箱に気がつきました。そのまま、王さまに知らせたため、夫婦は捕まって、牢屋へ入れられてしまいました。これを知ったあのときのヘビは、お城に忍びこんで、眠っている王女のまぶたに毒の針をさし、眼をみえなくさせてしまいました。王女の眼は、どんな名医でもなおすことができません。しかたなしに王さまは、「王女の眼をなおした者には、国の半分をつかわす」というおふれを出しました。王さまは、予言者から「国じゅうのだれかが治せる」といわれていたからです。ところが、国じゅうの者たちが、われもわれもとやってきましたが、だれひとりなおすことができません。

あとは、牢屋の中の夫婦だけとなりました。王さまはふたりを呼び出しました。前の日の晩、ヘビは牢屋に忍びこんで、薬の小びんを渡していました。夫婦がこの薬を王女の眼にさしたとたん、もと通りのよくみえる眼になりました。王さまは大喜びで夫婦を許したばかりか、約束通り、夫婦に国の半分をあげたのでした。


「9月26日にあった主なできごと」

1904年 小泉八雲死去…「耳なし芳一」 や 「雪女」 などを収録した 『怪談』 などを著し、日本の文化や日本の美しさを世界に紹介したラフカディオ・ハーンこと小泉八雲が亡くなりました。

1943年 木村栄死去…日本の天文観察技術の高さを世界に知らせた天文学者の木村栄が亡くなりました。

投稿日:2013年09月26日(木) 05:27

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)