たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 94]
むかし、あるところに源五郎という男がいました。ある日、源五郎が川べりをぶらりと歩いていると、小さな太鼓(たいこ)が落ちていました。源五郎はそれをひろって、ポンポンたたいてみると、とてもいい音がします。そこで、「銭出ろ、ポンポン」「うまいもん出ろ、ポンポン」「酒が飲みたいポンポン」と、かってなことをいいながら、太鼓をたたいていました。
そのうち、「鼻高くなれ、ポンポン」というと、鼻が高くなったではありませんか。そこで、もう一度「鼻高くなれ、ポンポン」というと、こんどは天狗の鼻のように長くなりました。「こりゃ驚いた、たいへんなものを拾ったぞ。でも、これじゃ、天狗にまちがわれる。…そうだ、鼻低くなれ、ポンポン」とやってみましたが、低くなりません。あわてて、こんどは反対側をたたきながら、「鼻低くなれ、ポンポン」とやってみると、不思議ふしぎ、鼻は、もとのようになりました。
「ようし、こりゃおもしろいことになるぞ」源五郎は太鼓をかかえて旅に出ることにしました。知らない村を歩いていると、お宮があったので休んでいると、美しい娘がお参りにきました。長者のひとり娘で、源五郎は娘のそばに近よると、わからないように「娘の鼻、高くなれ、ポンポン」 と太鼓をたきました。
娘の鼻がみるみる伸びたものだから、長者さんの家では大さわぎ。長者はなんとか娘の鼻を治してやろうと、遠くの町から医者を呼んできたり、えらいお坊さんに拝んでもらったりと手をつくしましたがどうにもなりません。そこで長者は「娘の鼻を治してくれた者には望みの金を出す」と、家の前に張り紙を出しました。
しめたと思った源五郎、 「鼻の病気なら、わたしがなんとか出来るかもしれません」 と、名のり出ました。娘の部屋にあがりこむと「これはむずかしい病気だから、とても一日では治りません」といって、家の者をみんな部屋から出して 「娘の鼻、低くなれ」 といいながら、太鼓をポンとたたくと娘の鼻が少し低くなりました。それから源五郎は、毎日1回ずつ太鼓をたたいて、7日もかけて鼻をもと通りにしてあげました。長者は大喜びで、千両箱を源五郎にくれました。
大金持ちになった源五郎は、りっぱな屋敷を建ててなに不自由なく暮らしていましたが、そのうち退屈してきました。そんなある日、原っぱに寝ころびながら、「太鼓をたたきつづけたら、この鼻はどこまでのびるだろか」と思って、太鼓をポンポコポンポコたたきました。源五郎の鼻はどんどん伸びて、たちまち木の高さ、やがて山より高くなり、雲をつきぬけて、とうとう天の川までとどいてしまいました。
ちょうどそのころ、大工さんが天の川に橋をかけようとしていました。そこへ下から、おかしなものが出てきたので、柱にする木をさがしていた大工さんは、これはちょうどいいと橋にしばりつけました。鼻の先が痛くなってきたので、源五郎は「鼻低くなれ」 といいながら、あわてて太鼓をポンポコポンポコたたきました。でも、鼻は天の川の橋にしばりつけられているので、鼻がみじかくなると、源五郎の身体は宙にういて、どんどん空の上へと引き上げられていきました。
そこへ虎のふんどしをしめた雷さまがやってきて源五郎をみつけました。 「ほう、こんなところに人間とはめずらしいな」 「へい、かくかくしかじかで、大変なありさまで」「そうか、それならわしのところで働け。雨の季節になるといそがしくてな」こうして雷さまの弟子になった源五郎は、雷さまの打ち鳴らす太鼓にあわせ、雲の上をはしりまわって、柄杓(ひしゃく)で水をまきます。ちょいとまいただけでも下界では大雨になるから、おもしろくておかしくて、つい夢中になってかけずりまわっているうちに、足をすべらせて雲から落ちてしまいました。
まっさかさまに落ちたのは、琵琶湖のどまんなか。わらをもつかむ思いでもがいているうちに、源五郎はフナという魚になってしまいました。今でも、琵琶湖にいる大きなフナのことをゲンゴロウブナっていうんだって。
「8月1日にあった主なできごと」
1590年 家康江戸城へ…豊臣秀吉から関東4国をもらった徳川家康が、太田道灌の建てた江戸城へ入城。粗末だった城を、じょじょに様式のある城に整えていきました。
1931年 初のトーキー映画…これまでの日本映画はサイレント映画で、スクリーンの横に弁士がついてストーリーを語るものでしたが、初のトーキー映画『マダムと女房』(五所平之助監督) が封切られました。