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ビンの中のおばけ

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 97]

むかしむかし、ある町に、どこか暗い感じの大きな古い家がありました。その家には、人はだれも住んでいませんが、お化けがいたため、ずっと空き家になっているのでした。こまった家主は、「お化けを退治してくれた人には、お礼に、お金をたくさんはずみます」と、家のまえにはり紙を出しました。何人かの力自慢が、「おれが退治してやる」と名乗りでて、家にとまりこんだものの、逆にお化けにやっつけられてしまったため、もう、挑戦しようという人はあらわれません。

さてこの町に、トミーという医者をめざして勉強にはげむ、まずしい若者がすんでいました。家主はトミーが、かしこいといううわさを聞いて、相談を持ちかけました。「トミーさん、あなたの知恵で、どうかあのお化けをやっつけてくれませんでしょうか」とたのんだところ、「やってみましょう」と、トミーは、あっさりひきうけたのです。あんまり簡単にひきうけたので、家主はちょっと不安になりました。「だいじょうぶですか?」「心配ご無用。お酒とコップとあきビンを用意してください」といいました。

その日の晩、トミーは空き家の部屋の中に入り、お酒をチビチビ飲みながら、お化けの出てくるのを待ちました。家の中はまっ暗で、月あかりがほんの少しあるだけです。やがて、夜中になり、カーン、カーン……と、時計が、十二時を打つと、どこからか、ヒューッと不気味な音がして、ひとつ目で、鼻のない、大きな口をしたお化けがあらわれました。「やあ、こんばんは。ようこそ、いらっしゃいました」と、トミーはいいます。するとお化けは、「ふぅーん、みょうなやつだな。これまできた連中は、おれを見ると、あわてて逃げていってしまったのに、おまえは、にこにこ笑ってる」「みょうなのは、きみじゃないか。この家は、戸もまども、ぜんぶカギがかけてあるんだぜ。それなの、どうやって入ってきたんだい?」「うっふっふ、おれはカギ穴から、入ってきたんだよ」「カギ穴だって? あんなちっぽけなところから入ってこられるのかね」「うそなどいうものか」「信じられないね。それじゃ、この小さいビンの中にも入れるかい?」トミーは、テーブルの上のあきビンをさしていいました。「いいか、見ていろよ」お化けは、しゅっと、小さくなると、ビンの中にするするっと入ってしまいました。

その時です。トミーはあきビンのふたを閉めてしまいました。「お願いです、ここから出してください」「だめだね」「もし自由にしてくれるなら、一生困らないほどのものをさし上げます」といいます。そこでトミーは、お化けが正直もののようなのに安心して、この家を出ていくことを約束させ、ビンのふたを開けてあげました。たちまちお化けは大きくなり、「あなたには、負けました。お約束の品はこれです」といって、小さな布をトミーに渡しました。「一方の端で傷をさすると、傷はたちまち治ります。もう一方の端で金属をさすると、それは銀に変わります」といいました。トミーがそれを試し、その通りなのを確かめると、おたがいにお礼をいって別れました。

それからのち、あの家にはもうお化けはでなくなり、トミーは家主からもらったお金で勉強にはげみました。また、お化けにもらったあの布でどんな傷も治せたために、世界じゅうでいちばん名高いお医者さんになったそうです。


「8月27日にあった主なできごと」

紀元前551年 孔子誕生…古代中国の思想家で、「仁」を重んじる政治を唱え、たくさんの弟子を育てた孔子が生まれました。

663年 白村江の戦い…当時朝鮮半島では、新羅(しらぎ)が唐(中国)の力を借りて、百済(くだら)と高句麗(こうくり)を滅ぼして半島を統一しようとしていました。百済から援軍を求められた斉明天皇は、日本水軍を援軍に送りましたが7月に病没、かわって中大兄皇子が全軍の指揮にあたりましたが、この日、白村江(はくすきのえ)で、新羅・唐軍を迎え撃って奮闘するものの、翌日に敗れてしまいました。

1714年 貝原益軒死去…江戸時代の初期、独学で儒学、国文学、医学、博物学を学び、わが国はじめての博物誌 「大和本草」 などを著わした貝原益軒が亡くなりました。

投稿日:2013年08月27日(火) 05:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)