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『女工哀史』 の細井和喜蔵

今日8月18日は、大正時代の紡績工場で働く女工の実態を記録した『女工哀史』などを著した作家の細井和喜蔵(ほそい わきぞう)が、1925年に亡くなった日です。

1897年、京都府に生まれた細井和喜蔵は、幼いときに両親の離婚や母の自殺にあい、家庭的にも経済的にもめぐまれない幼少年期を送りました。小学5年のとき、たったひとりの保護者だった祖母にも死なれ、学校を中退して近くの機屋の住み込み工員になりました。その後、いろいろと職場を変えますが、当時の工業労働者はどこも、低賃金で長時間労働、身分保障もない悲惨なものでした。

1916年に大阪に出て、紡績工場に勤めながら草創期の労働組合に参加するようになります。機械に左手の小指をつぶされながらも、職工学校でキリスト教や社会主義に接するうち、友愛会という組合に入会したために職場を追われ、1920年に上京します。亀戸の紡績工場に勤めながら、雑誌「種蒔く人」グループの人たちと知り合い、人間らしい生活を求めて文学の道を志し、小説や詩、戯曲などを雑誌に発表。まもなく、女工をしていた高井としをと結婚しました。

そして1924年、藤森成吉のあっせんで紡績工場の現実をルポルタージュにした『女工哀史』を雑誌「改造」に発表して注目を浴び、翌年単行本として改造社から刊行されると大ベストセラーになりました。細井の長い職場経験に基づくリアルな観察、妻としをの職場経験、妻との討論などが生かされ、今も当時の女工の実態を知るうえで貴重な資料になっています。

ところが細井は、長時間労働後に執筆活動を続けたことで身体をこわし、刊行2か月後に急死してしまいました。没後まもなく小説『奴隷』『工場』が出版され、のちに全集にまとめられました。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、細井の作品2点を読むことができます。


「8月18日にあった主なできごと」

1598年 豊臣秀吉死去…織田信長の後をついで天下統一を果たし、絢爛豪華な安土桃山時代を築いた武将豊臣秀吉が亡くなりました。

1850年 バルザック死去…『谷間の百合』や『ゴリオ爺さん』など、「人間喜劇」と名づけた作品群を遺したフランスの作家バルザックが亡くなりました。

1930年 細君譲渡騒動…作家の谷崎潤一郎と、その妻千代子が離婚し、谷崎の友人の作家佐藤春夫が千代子と再婚するという細君譲渡騒動がおきました。このことを書いた挨拶状が関係者に送られたため、一大センセーションがまきおこりました。

1949年 フジヤマの飛び魚…ロサンゼルスで開かれた全米水上選手権大会に出場した古橋広之進は、1500mと400m自由形他で世界新記録を連発。アメリカの新聞は「フジヤマの飛び魚」とたたえ、敗戦でうち沈んでいた日本人を勇気づけました。

1966年 中国文化大革命…中国の首都北京で、中学生や大学生を中心とする紅衛兵100万人が文化大革命の勝利を祝う大集会を開きました。この文化大革命運動は、共産党内の反毛沢東分子や親ソ連派を「資本主義の復活をはかる実務派」として打倒、翌年4月の九全大会で、毛沢東、林彪路線を確定することになりました。
投稿日:2014年08月18日(月) 05:36

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)