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「化学療法の始祖」 エールリヒ

今日8月20日は、マラリヤ、結核、梅毒、ジフテリアなどさまざまな病原体を研究するうち、「化学療法」「特効薬」という概念を考え出したドイツの細菌学者・生化学者エールリヒが、1915年に亡くなった日です。

1854年、ドイツ(現在はポーランド)のブレセラウに化学や医者など学者の家系に生まれたパウル・エールリヒは、ライプツィヒ大学の医学生だったころから細菌を染料で染めて顕微鏡で調べる研究をするうち、染料により細菌がよく染まるものとそうでないものがあることに気づきます。そこで、殺菌性のある染料を作れば、細菌を殺して病気を治すことができると学術論文に記しました。

ストラスブール大学やベルリン大学などいくつかの大学で医学を修めた後、ベルリンのシャリテー病院の助手をへて、1889年にベルリン大学内科学の講師になります。その後1891年にコッホの伝染病研究所助教授となると、青い色素のひとつメチレンブルーが、マラリア原虫によく効くことを発見しました。ところが、免疫血清を研究中に結核菌の染色法を開発したところ結核に感染し、転地療養のため2年間をエジプトで過ごしました。

帰国後、1899年にフランクフルトの実験治療研究所所長となると、血液や免疫学の研究を行い、1907年には日本からの留学生の志賀潔と共同で初の化学療法剤トリパンロートを開発し、熱帯性眠り病に有効であることを証明しました。しかし、この化合物は毒性が強いため、その構造をいろいろ変えて、毒性の少ない化合物に替えるうち、1910年日本人留学生の秦佐八郎とともに606番目に作った化合物で梅毒によく効く「サルバルサン」を発見し、化学療法の道を開きました。

なおエールリヒは、免疫現象を研究するうち、抗体反応を理論づけた「側鎖説」を発表し、1908年にノーベル生理・医学賞を受けています。


「8月20日にあった主なできごと」

1241年 藤原定家死去…「小倉百人一首」の編さんや、万葉集、古今集と並び日本の3大和歌集の一つ「新古今和歌集」を編さんした鎌倉時代の歌人の藤原定家が亡くなりました。

1839年 高杉晋作誕生…吉田松陰の松下村塾に学び、農民や町民を集めて奇兵隊を組織し倒幕に力をそそいだものの、明治維新を前に若くして病死した長州藩士の高杉晋作が生まれました。

1988年 イラ・イラ戦争停戦…1980年ペルシャ湾岸地域を優位に支配しようとするイラクのフセイン大統領が、革命後の不安定なイランへ攻撃を開始して、イラン・イラク戦争(イラ・イラ戦争)が始まりました。一進一退のくりかえしだったため、国連の即時停戦の要請を受けて、停戦が実現しました。双方の犠牲者は100万人を超えたといわれています。
投稿日:2014年08月20日(水) 05:07

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)