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「進歩的経済学者」 大内兵衛

今日8月29日は、大正・昭和期に、日本のマルクス経済学の一大グループをリードし、統計制度や社会保障制度の整備に尽力した大内兵衛(おおうち ひょうえ)が、1888年に生まれた日です。

兵庫県淡路島に生まれた大内兵衛は、旧制洲本中学、第五高校(熊本)を経て、1913年東京帝国大学経済学科を首席で卒業すると、大蔵省に入って書記官をつとめましたが、1919年に、新設されたばかりの東大経済学部助教授として財政学を担当しました。

ところが1920年、大内が編集責任をする経済学部機関誌『経済学研究』に、森戸辰男がロシアの無政府主義者クロポトキンに関する研究を発表したところ、学内の右翼団体から攻撃を受けて、雑誌が回収処分となっただけでなく、新聞紙法違反として森戸は起訴・休職処分となり、大内も連座責任を問われて失職しました(森戸事件)。

私費でヨーロッパ留学後の1922年、多くの学生や大山郁夫、吉野作造ら文化人に支えられて同大経済学部に復職しましたが、1938年には「教授グループ事件」(人民戦線事件)という、共産主義インターナショナルの反ファシズム統一戦線の呼びかけに呼応して、日本で人民戦線の結成を企てたとして労農派系の大学教授・学者グループが一斉に検挙された事件で検挙されるなど多難でしたが、1949年の定年まで財政学を講じつづけ、向坂(さきさか)逸郎や有沢広巳ら弟子たちとともに、日本のマルクス経済学の一大グループを形成しました。

退官後は、1950年より1959年まで法政大学総長をつとめ、そのかたわら、統計制度や社会保障制度の整備に尽力し、憲法改正反対運動や平和運動でも活躍しました。主著『経済学大綱』のほか多くの経済書、アダム・スミス『国富論』などの翻訳のほか、平明な文章を綴る随筆家としても知られています。


「8月29日にあった主なできごと」

1708年 シドッチ屋久島へ上陸…イタリア人宣教師シドッチが屋久島に上陸。鎖国中だったため捕えられて江戸に送られ、新井白石の訊問を受け幽閉されましたが、このときのやりとりは後に『西洋紀聞』にまとめられました。

1862年 メーテルリンク誕生…『青い鳥』などの劇作家・エッセイスト・詩人で、ノーベル文学賞を受賞したメーテルリンクが生まれました。

1929年 ツェッペリング号世界一周…全長236mものドイツの飛行船ツェッペリング号は、約12日間かけて世界一周に成功しました。しかし飛行船は、実用的には飛行機にかなわず、現在では、遅い速度や人目につきやすい特長をいかして、広告宣伝用として使われています。
投稿日:2014年08月29日(金) 05:25

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)