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「綱吉初期政治」 と堀田正俊

今日8月28日は、江戸幕府前期の将軍 3代家光・4代家綱をささえ、大老として5代綱吉初期の政治を主導した堀田正俊(ほった まさとし)が、1684年に亡くなった日です。

1634年、江戸幕府第3代将軍徳川家光の腹心だった武蔵国川越城主・堀田正盛の子として生まれた正俊は、1635年に家光の乳母にあたる春日局の養子となります。1641年、家光の嫡男竹千代(のちの徳川家綱)の小姓に任じられると、1643年、家光の命により、春日局の遺領3000石を相続しました。

1651年、家光の死去にともない父正盛が殉死すると、下野新田1万石が加増され、守谷城1万3000石の大名となると、下備中守に叙任されました。4代将軍家綱の時代になっても順調に昇進し、1656年に稲葉正則の娘と結婚すると、正則の後見を受けて、1660年には老中を補佐する奏者番となり、上野安中藩2万石の城主となりました。1670年に若年寄となり、1679年に老中に就任し、2万石の加増を受けて4万石の領主となります。

1680年、家綱の死去により5代将軍となった綱吉からも厚い信任をえて、家綱時代に大老だった酒井忠清の大手門前の邸宅を与えられ、1681年末には大老に任ぜられ、下総国古河(いまの茨城県古河市)城主13万石を領有しました。就任後は、「天和の治」と呼ばれる綱吉初期の優れた政治をささえ、特に財政面においては大きな成果を上げました。

その権勢は並ぶ者がないほどでしたが、正俊の剛直な性格が、綱吉に敬遠されるようになり、幕臣たちにもうとまれるようになって、1684年8月、若年寄の美濃青野藩主稲葉正休に江戸城内で刺され、重体のまま自邸で息を引き取りました。正休の私怨説、正俊専権への公憤説、大坂の淀川の治水事業に関する意見対立による将軍綱吉の関与もささやかれています。


「8月28日にあった主なできごと」

1573年 浅井長政死去…織田信長と同盟を結び、近江一帯をおさめる戦国大名となった浅井長政でしたが、信長と不和になって「姉川の合戦」に敗れ、自刃しました。

1583年 大坂城完成…豊臣秀吉が「大坂(いまの大阪)城」を築きました。1598年の秀吉死後は、遺児・豊臣秀頼が城に留まりましたが、1615年の大坂夏の陣で落城、豊臣氏は滅亡しました。

1749年 ゲーテ誕生…『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』など数多くの名作を生みだし、シラーと共にドイツ古典主義文学の全盛期を築いた文豪ゲーテが生れました。

1953年 民放テレビ開始…日本初の民放テレビとして「日本テレビ」が放送を開始しました。当時は受像機の台数が少なく、人気番組のプロレス中継・ボクシング中継・大相撲中継には、街頭テレビに観衆が殺到し、黒山のような人だかりになりました。
投稿日:2014年08月28日(木) 05:57

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)