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たからさがし

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 95]

昔、3人の王子をもつ王さまがいました。となりの国には女王がいて、女王にはひとりの美しい王女がいました。3人の王子は、3人ともこの王女をお嫁にもらいたいと思っていました。そこで、王子たちは王さまのところへいって、だれも、文句はいわないので、だれが王女をお嫁さんとするのにふさわしいかを、決めてくれるようにたのみました。王さまは、しばらく考えていましたが、これから3人とも旅に出て、世界でいちばん尊いと思うものをさがしてくるようにいいました。その中で、いちばん尊いものを持ってきた王子を、配偶者に推せんしようというのです。こうして3人の王子は、いっしょにお城を出ました。やがて、十字路に出たので、それぞれが別の道を行くことにしました。

1番目の王子は大きな町につきました。王子は町のすみずみまで歩くうち、市場でバネのついたじゅうたんを見つけました。これに乗って飛び上がると、飛びたいだけ高く、そして遠くへ行けるのです。気に入った王子は、これを買いもとめました。

2番目の王子は、ある村につきました。ひとりの男が、とても長い望遠鏡を売っていました。この望遠鏡はふしぎなもので、知りたいものを見ることができるといいます。さっそく、兄がどうしているかとのぞいてみると、じゅうたんをかかえている王子がみえました。気に入った王子は、これを買いもとめました。

3番目の王子は、ある国につきました。国じゅうを歩きましたが、なかなか気に入ったものがありません。ある市場で、リンゴを売っているおじいさんに出あいました。「このリンゴは病気が治るリンゴだよ」といいます。「ほんとうに病気が治るのかね?」「もちろんです。病人の顔をこのリンゴでこすってあげると、このリンゴのかおりで、病気が治るんです」気に入った王子は、これを買いもとめました。

2番目の王子が望遠鏡をかついで歩いていると、1番目の王子にあいました。「弟はどうしているだろう」というので、2番目の王子は望遠鏡で、すぐに末の王子を見つけました。「おまえの望遠鏡もたしかにすばらしいが、おれのじゅうたんに乗れば、どんなに遠くでも、ひとっ飛びだ」と1番目の王子は、2番目の王子をのせて、3番目の王子のところにつきました。そして、3人そろって、じゅうたんにのり、空高くまいあがりました。

2番目の王子が、王女のようすを望遠鏡でのぞくと、なんと、王女は病気にかかっていて、いまにも死にそうです。3人が王女の城につくと、3番目の王子は、王女に近づき、王女のほほをリンゴでこすると、たちまち王女の病気が治ったのです。

3人の王子は、王さまのところへ行って、それぞれのおみやげを見せ、みんなで力をあわせて、王女の病気を治したことを話しました。「でも、私のじゅうたんがあったから、まにあったのです」と1番上の王子がいいました。「でも、私の望遠鏡がなかったら、王女が病気だったことに、気がつきませんでした」と2番目の王子がいいました。「でも、私のリンゴがあったから、病気が治ったんです」と、3番目の王子がいいました。

さて、あなたは、3人の王子のうち、だれがいちばん尊いと思いますか。

王さまは、じっと考えていましたが、「わしは、望遠鏡のおかげだと思う。しかし、王女の考えも聞いてみよう」というので、王さまは、3人の王子をつれて王女にあい、いきさつを話しました。

王女はこういいました。「私は、みなさんのおかげだと思います。でも、病気の人を助けてやろうという、末の王子さまの優しい気持ちが、いちばん尊いと思います。それに、私は、前から3番目の王子さまが、好きでした」

さあ、それからどうなったでしょう。あなたがお話しする番ですよ。


「8月8日にあった主なできごと」

1506年 雪舟死去…日本水墨画の大成者として知られる室町時代の画僧・雪舟が亡くなりました。

1962年 柳田国男死去… 『遠野物語』『雪国の春』『海南小記』などを著し、日本民俗学を樹立した柳田国男が亡くなりました。

1973年 金大中事件…韓国の政治家で、後に第15代韓国大統領となる金大中が、宿泊している東京のホテルから拉致される事件がおこりました。5日後、ソウル市内の自宅前で発見されました。

投稿日:2013年08月08日(木) 05:27

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)