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なら梨とり

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 98]

むかし、太郎、次郎、三郎という親孝行の三人兄弟がありました。父親は早く亡くなったため母親だけになりましたが、その母親も病気でずっと寝たきりになってしまい、日一日とやせていくばかりです。兄弟たちは母親の枕元で「おっかぁ、なにか食べたいものはないか?」とたずねました。「そうだな、死ぬ前に、奥山のなら梨が食べたいものだ」といいました。奥山のなら梨というのは、昔からとてもおいしいだけでなく、元気がでることで知られていました。でも、いつのころからか魔物が住みついて、とりにでかけたものはだれひとりもどってこないため、今では奥山に入る人がいませんでした。

でも、親孝行の兄弟です。「おれが行く」と、長男の太郎が、山の奥深く入っていきました。どんどん行くと、大きな岩の上にばあさまがすわっていて、「これ、どこへ行く」 とたずねました。「なら梨をとりにきたんだが、どこにあるかわからない」と答えると、ばあさまは 「この先には魔物がいる。食われないうちに家に帰れ」 といいました。でも、ねばって「どうしてもいきたいから、どこにあるか教えてくれ」とたのむと、ばあさまはため息をつきながら 「この先にいくと、道が三本にわかれていて、笹が三本立っている。『行けっちゃガサガサ』『行くなっちゃガサガサ』と鳴ってるから、よく音を聞いて『行けっちゃガサガサ』と鳴るほうに行くんだよ。そうすりゃ魔物にあわずにすむからな」と、教えてくれました。どんどん行くと、ばあさまのいうとおり道が三つにわかれていて、三本の笹が風にさわいで音をたてています。いちばん右と、真ん中の笹は『行くなっちゃガサガサ』と鳴り、左の笹だけが『行けっちゃガサガサ』と鳴っていました。

でも太郎は、ばあさまのいうことなんかあてにならないと、右の道を先にすすみました。すると、道のとちゅうでキツツキが木をたたいているのにであいました。その音は『行くなっちゃトントン』と聞こえましたが、かまわずすすんでいきました。すると、こんどは大きな木の枝にひょうたんがぶらさがっていて、風にゆれながら『行くなっちゃカラカラ』と音をたてていました。それでも、太郎はかまわず行くと、大きな沼があって、沼のほとりになら梨の木がはえていて、木の上にはおいしそうな梨が、いっぱいなっていました。太郎が木にのぼると、沼の水にその姿がうつりました。すると、沼から魔物があらわれて、太郎をあっというまにのみこんでしまいました。

いくら待っても、太郎が帰ってこないので、「こんどはおれが行く」と、次男の次郎が、出かけていきました。ところが次郎も、太郎と同じように岩の上のばあさまのいうことを聞かず、『行くなっちゃガサガサ』と鳴ってる真ん中の道を行ったために、沼の魔物にのみこまれてしまいました。

いくら待っても、兄たちが帰ってこないので「おっかぁ、こんどはおれが行く」 といって、三男の三郎が、山の奥深くへ入っていきました。三郎がどんどん行くと、大きな岩の上にばあさまがすわっているのにであいました。そこで三郎は、母親が病気で寝たきりになっていること、なら梨を食べたがっていること、ふたりの兄が梨をとりに行ったままかえらないことなどを話しました。すると、ばあさまは、「そうかそうか、よーくわかった。おまえの兄たちがもどらないのは、すべてわしのいうことをきかなかったからじゃ」といい、道が三本別れているところの笹の鳴る音をよく聞いて道を進むことを話したうえに、こまったことがあったらこれを使えと、一本の刀をくれました。

三郎がどんどん行くと、道が三つにわかれたところに、三本の笹が風にゆれていました。三郎はよく耳をすまして、笹が『行けっちゃガサガサ』と音をたてている左の道をすすみました。その先では、キツツキが『行けっちゃトントン』と木をたたいていました。その先では、大きな木の枝にぶらさがったひょうたんが『行けっちゃカラカラ』と鳴っています。もっと行くと、川にいきあたりました。ふちの欠けた赤いお椀が流れてきたので、ひろいあげてふところにいれました。そうしてもっと行くと、大きな沼のほとりに梨の木があって、おいしそうな実がたくさんなっていました。三郎がよろこんで木にかけよると、木の葉が風にゆれながら 「東や西はあぶないよ 北のがわは姿がうつる 南のがわからのぼれ」 と、うたっているようにきこえました。

三郎は歌におしえられたとおり、南のがわから木にのぼりました。それから、よくうれた実ばかりえらんでもぎとりました。ところが木をおりるとき、まちがって北のがわからおりてしまいました。「ぎゃおーっ」と、恐ろしい声がすると、魔物がでてきて、三郎をひとのみにしようとしました。とっさに三郎は、ばあさまがくれた刀で魔物を切りつけました。すると魔物は、刀で切られたところからくさっていき、とうとう死んでしまいました。

死んだ魔物のはらのなかから、小さな声がします。よく耳をすましてきいてみると「ほーい、三郎やーい」ときこえます。三郎が刀で魔物のはらをきりさくと、中から太郎と次郎がでてきました。三郎はふところの欠けたお椀で兄たちに沼の水をのませてやると、ふたりはみるみる元気になりました。

こうして三人そろって家にかえり、奥山のなら梨を母親に食べさせると、病気はたちまちなおり、いつまでも家族そろってしあわせにくらしたということです。


「9月5日にあった主なできごと」

1566年 スレイマン死去…オスマン帝国第10代スルタンとして13回にもおよぶ遠征の末、地中海の制海権をにぎって「世界の帝王」と呼ばれたスレイマンが亡くなりました。

1638年 ルイ14世誕生…フランスブルボン王朝の第3代国王で、「朕は国家なり」と絶対専制君主として勢力を誇ったルイ14世が生れました。

1903年 棟方志功誕生…仏教を題材に生命力あふれる独自の板画の作風を確立し、いくつもの世界的な賞を受賞した版画家の棟方志功が生れました。

投稿日:2013年09月05日(木) 05:48

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)