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塩ふきうす

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 92]

むかし、ある村に兄弟が、すんでいました。よくばりな兄は、大きな家にすみ、正直な弟は、小さい家に住んでいました。

ある年の暮れのことです。びんぼうな弟は、兄の家にいき、「兄さん、すまないが、米とみそを貸してくれないかな?」といいました。ところが兄は、「年越しに食う米やみそがないとは、どういうことだ。そんなやつにやるものなんか、なにもない」と、戸をぴしゃりと閉めてしまいました。弟はあてもなく、とぼとぼと引きかえしました。

そのとちゅうに弟は、老人が石に腰かけているのにであいました。「おじいさん、どうかしましたか?」「うむ、柴を集めにきたのじゃが、なかなか集まらんのじゃよ」弟は、気軽に柴を集め、住んでいる小屋まで運んであげました。「ありがとう、助かった。ところで、おまえさんは、こんな日に何をしていたんだね」ときくので、わけを話しました。「そうか、それはお困りじゃな。それではお礼に、これをあげよう」といって、小さな麦まんじゅうをくれました。そして、こんなことをつけくわえました。

「あの森の中腹に、神さまのお堂があるんだ。その裏手に穴があってな、そこは『小人の国』なのじゃ。そこへいって、『動く石』をもらってきなさい。石でできた動くものじゃよ」弟は半信半疑でしたが、老人にいわれた通り、森へ入ってお堂を見つけました。その裏にまわってみると、なるほど、ほら穴があります。弟が穴の中に入ると、小さな声がわいわいがやがやと聞こえてきました。よく見ると小人が大勢、柴あつめをしています。「どこに運ぶんだい?」三郎が聞くと小人たちはいっせいに、小人の村のほうを指さしました。弟はひょいと柴をつまむと村の前まで運んであげました。すると、小人たちは、三郎のまわりに集まり、「おまえは大きいな」「力持ちだな」と、口ぐちにいいます。そのうち、一人が「良いにおいがする」というと、他の小人たちも、「うん、良いにおいだ」と、いいたてました。「これのことかい」と、老人にもらった麦まんじゅうをふところから出すと、小人たちみんな、口からよだれを出しています。そして、どこからか小判を持ってきて、弟の前にならべました。

弟は老人にいわれた通り「いやいや、お金はいらない。動く石とならば、取りかえてあげてもよい」と、いいました。そのうち話が決まったのか、小人たちは石うすを持ってくると弟に渡し、麦まんじゅうと取りかえっこしました。

石うすを持って弟が穴の外へ出てくると、そこに、あの老人が待っていました。「よくやったの。その石うすは、望みのものをなんでもだしてくれる石うすなのじゃ。右に回してほしいものをいえば出てくる、左に回せばとまる。よいな」弟は、おじいさんに頭を下げると、走って家に帰りました。

弟は、さっそくためしてみました。石うすを右に回して「米でろ!」というと、石うすから、米があふれるばかりに出てきました。「ほんとだぁ」米はどんどん出てきます。「そうだ、止めるのは左にまわすのだったな」と、石うすを左に回すと、ぴたりととまりました。「こりゃ、すごい」弟は、みそを出し、お酒を出し、もちや塩ざけ、ミカンやほし柿、暖かな布団も出して、ゆっくり新年をむかえました。

こうして弟は、大金持ちの長者になりました。でも、正直ものの弟は、びんぼうだったころのことを忘れません。めぐまれない人たちには、石うすで出したおまんじゅうやら餅やら、おしげもなくわけてあげました。このうわさは、村じゅうに伝わって、弟の家の前には、行列ができるほどでした。

このようすを、にがにがしく思っていたのが、よくばりの兄です。ある日、兄は石うすのひみつをみつけました。「見たぞ、やい、その石うすをおれにも貸せ」「だめです。これは、こまってる人に使うことにきめたんです」といって、石うすをかかえこみました。「ふん、ケチめ。いまに見てろ!」と、出ていきました。

さて、その夜のことです。兄は、弟の家に忍びこみ、眠るのを待っていました。そして、眠ったのをたしかめ、石うすと、そばにあったたくさんのまんしじゅうを盗むと、外へ走り出しました。海辺につくと、つないであった船にのり 沖へこぎだしました。だれも知らないところにいって、一生楽しく暮らそうと思ったのです。

兄は、甘いまんじゅうばかりたくさん食べたために、塩がなめたくなりました。そこで、石うすを右に回し、「塩を出せ!」と叫びました。石うすから、塩がどんどん出てきました。兄がそれをなめてみると、たしかに塩です。思わず、笑いがこみあげてきました。でも、石うすはどんどん塩を出しつづけました。「もうよいわ、出すのをやめろ!」とさけびました。でも、石うすは塩をだしつづけます。兄は、石うすの止めかたを知らなかったのです。左に回せばいいのに、どんどん右に回したものですから、やがて船は、塩の山ができてしまいました。「とまれ、とまれ」と、いくらさけんでも、止まりません。「わぁ、船がしずむ!」船は、兄をのせたまま、海の底に沈んでしまいました。

今も、あの石うすは海の底で塩を出し続けているのだそうです。海が塩からいのはそのせいなんだって。


「7月19日にあった主なできごと」 

1834年 ドガ誕生…たくさんの「踊り子」の絵を描いたフランスの画家ドガが生まれました。

1864年 蛤御門の変…天皇を中心に外国勢力を追い出そうと「尊王攘夷」を掲げる長州藩の志士たちが京都に攻めのぼり、京都御所の警備にあたっていた会津・薩摩の両藩と激突。わずか1日で長州の敗北に終わり、長州は一時勢いを失いました。

1870年 普仏戦争…フランスがプロイセン王国に宣戦、プロイセンが大勝して、翌年のプロイセン主導によるドイツ帝国が成立しました。 

投稿日:2013年07月19日(金) 06:03

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)