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夢のような朝ごはん

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 90]

あるところに、えものをとるのがへたなオオカミがいました。ある夜、オオカミはすばらしい朝ごはんにありついた夢を見ました。眼をさますと、きょうはきっとすばらしい日になるにちがいないと、村のほうへえものさがしにでかけました。すると、2ひきの子ヤギをつれた母ヤギに出会いました。「お母さんや、もう逃げられないから、覚悟をきめなさい。さぁ、ごちそうになるよ」「ちょっと待ってください。死ぬ前に、お祈りだけさせてくれませんか」「よかろう。だがな、お祈りが終わったら、すぐに食べちゃうからな」

ヤギの親子は、道ばたに立っていた十字架像のところへいくと、せいいっぱい悲しそうな声を出して、メーメー泣きました。山のふもとにいたヒツジ飼いがその声を聞きつけました。たいへんなことが起こったのにちがいないと、すぐに犬を放しました。強そうな犬がやってきたのを見ると、オオカミは、ほうほうのていで逃げていきました。こうして、ヤギの親子は助かりました。

すき腹をかかえたオオカミは、「ああ、あんなおいしそうなごちそうを逃がすなんて、おれはなんてバカなんだ」と、ひとりごとをいいながら歩いてくると、1羽のオンドリにであいました。「オンドリくんよ、おまえをごちそうになるぜ。おれは腹ペコなんだ」「いいですよ。でも、さいごに、もう一度鳴くことをお許しください」「だめだ、そんなことをゆるせば、おまえは逃げるにきまってる」「そんなら、わたしが鳴くあいだ、わたしのシッポをくわえていてください」「そんなら、ゆるしてやろう」

オンドリはすぐに鳴きはじめました。そのうち、オンドリのしっぽの羽の1枚が、オオカミのノドをくすぐりました。オオカミが思わずハックション。そのひょうしに、えものを放しました。するとこの瞬間、オンドリはさっと、木の上に飛び上がると、うれしそうに、コケコッコーと鳴きました。

オオカミがしょんぼり歩いてくると、太ったガチョウに会いました。「ガチョウくん、おまえをごちそうになるから、覚悟をしたまえ」「いいですよ、どうぞ食べてください。でもね、わたしはしばらく身体を洗ってませんから、そこの池で洗わせてください。それから食べたほうが、ずっとおいしいですよ」「だーめ、そんなことすりゃ、おまえは逃げるに決まってる」「それじゃ、わたしが身体を洗ってるあいだ、あなたはわたしのシッポをおさえていたらどうです?」たしかに、ガチョウの身体は汚れています。そこでオオカミは、ガチョウのシッポをしっかり口にくわえました。ガチョウは、しばらく羽をバタバタさせ、口ばしで、水を身体にかけていました。そのうち、急に深みにもぐりだしました。オオカミはびっくりして、思わず、シッポを放してしまいました。

オオカミはすっかりしょげて、ボンヤリ歩いてくると、牧場に出ました。ウマの母子が草を食べています。「お母さんや、おれは朝から、なーんにも食べてないんだ。覚悟しなさい」「あーら、わたしたちを食べたりすれば、あなたは重いバツを受けますよ。わたしたちを食べてはいけないと書いたものを、ちゃーんと持ってるんですからね」「そんなことに、ごまかされるか」「ウソだと思うなら、自分でたしかめてごらんなさい。ひづめの下にありますから」といって、母ウマは、右足を高くあげました。オオカミが身体をかがめて、ひづめの下をのぞきこんだとき、顔に激しい痛みを感じて、めまいをおこしてしまいました。オオカミが、われにかえったときには、ウマの母子は、はるか遠くへいっていました。

オオカミが、(おれは、なんてあきれたやつなんだ。馬のひづめの下をのぞくなんて、けとばされるにきまってるだろう)と、悲しそうに歩いてくると、こんどは年老いた雄ヒツジにであいました。「おい、じいさんヒツジよ、おれは腹ペコで死にそうなんだ。おまえを丸ごといただくよ」「いいですとも。あたしは、この世になんの未練もありません。いっそ、わたしのほうから、あなたのノドの中に飛びこんでいってあげましょう」「そいつはありがたい。ぜひ、そうたのむよ」「ではその湖を背にして、口をうんと大きく開けて、立っていてください」

オオカミは、いわれた通り、口を思いきり大きく開けて待っていました。すると、老ヒツジは、小高い丘の上から、ありったけの力をふりしぼって、オオカミのノドをめがけて突進してきました。オオカミはその勢いに負けて、ギャーッと悲鳴をあげながら、湖の中にボッチャーン。アップアップしながら、ようやく岸にたどりついたときには、老ヒツジの姿は、どこにもありませんでした。

「あーあ、なんておれは、大バカものなんだろう。あんな夢なんか見なけりゃよかったんだ。バツとして、だれか、オレのシッポを切り落としてくれないかな。この教訓を身にしみて忘れないためになぁ」と、オオカミが大きな木のによりかかりながら、ひとりごとをいいました。すると、木の裏側にいた木こりがこれを聞いて、「ほほう、オオカミくん、おれがおまえの願いをかなえてやろう」と、オノを力いっぱいふりおろしました。オオカミのしっぽは、プッツンと切れ、その痛さにピョンピョン跳びはねながら、いちもくさんに逃げていきました。


「6月25日にあった主なできごと」

845年 菅原道真誕生…幼少の頃から学問の誉れが高く、学者から右大臣にまでのぼりつめたものの、政敵に陥れられて九州の大宰府へ左遷された「学問の神」として信仰されるようになった菅原道真が生まれました。

1734年 上田秋成誕生…わが国怪奇文学の最高傑作といわれる『雨月物語』 を著した江戸時代後期の小説家・国学者・歌人の上田秋成が生まれました。

1956年 宮城道雄死去…琴を主楽器とする日本特有の楽曲「箏曲(そうきょく)」の作曲者、演奏家として世界に名を知られた宮城道雄が亡くなりました。

投稿日:2013年06月25日(火) 05:17

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)