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華道の基礎を築いた池坊専好

今日6月24日は、池坊花道の家元として安土桃山時代に活躍した華道家・池坊専好(いけのぼう せんこう)初代が、1621年に亡くなった日です。

池坊というのは、いけばなの一流派で、もともと京都・頂法寺の中にある寺院のひとつの僧坊で、本堂が六角形をしているため、六角堂ともよばれています。その住職は代々「専」の字が使われ、専好を名乗る住職はこれまで、池坊家31世の初代・32世の2代目・33世の3代目の3名をかぞえ、それぞれが花道宗匠として活躍しました。

1536年ころに生まれた初代池坊専好が、歴史資料にあらわれるのは1561年のころで、宮中で「立花」(生け花)を立て、みずから花師と称して、おおらかで華麗な表現をみせたと記されています。やがて、書道(入木道)の理論を参考に新しい立花技法論『専好華伝書』を著し、七つ道具の役技をあみだすなど、従来の立花に画期的な変化をもたらしました。1599年に京都の大雲院で催された百瓶(ひゃくべい)華会は、門人100人とともに100個の銅瓶に花をいけるという壮大なもので、絶賛されたと伝えられています。

2代目池坊専好は、先師初代の花道を受け継ぎ、江戸時代前期に活躍、池坊立花を盤石なものにしました。理論より実作に優れ、立花の大成者・名人といわれ、宮中における立花会の判者にもなり、法橋(法眼に次ぐ僧位)に叙せられています。作品200点余の立花図が京都曼殊院などに残されています。

3代目池坊専好は、2代に続き、江戸時代元禄期に活躍しました。「会席法度乃書」をさだめて池坊一門の結束をはかり、『生花の書』を著して町人層の関心をひきつけ、伝統をまもりながら、家元制度を設けるなど、新しい時代への対応につとめました。

以来、たくさんの花道宗匠の努力が実って、1949年から毎年全国池坊全国展を開催し、1952年には池坊短期大学を開設するなど、門流の近代化に取り組んでいます。なお、現在の宗匠池坊専永は45世で、次期池坊家元に決まった池坊由紀は、池坊専好4代目になる予定です。


「6月24日にあった主なできごと」

672年 壬申の乱…古代最大の内乱といわれる「壬申の乱」が始まりました。大海人皇子(のちの天武天皇)と大友皇子の争いで、およそ1か月続きました。

1611年 加藤清正死去…豊臣秀吉の家臣として仕え、秀吉没後は徳川家康の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって熊本藩主となった加藤清正が亡くなりました。1562年に誕生した日でもあります。

1788年 田沼意次死去…江戸時代の中ごろ、足軽の子に生まれながら、側用人から老中までのぼりつめ、1767年から1786年まで 「田沼時代」 とよばれるほど権勢をふるった田沼意次が亡くなりました。

投稿日:2013年06月24日(月) 08:31

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)