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「ペンシルベニア」 とペン

今日7月30日は、イギリスの植民地だったアメリカに、ペンシルベニアを創立させたペンが、1718年に亡くなった日です。

1644年、イギリス海軍提督の子としてロンドンに生まれたウィリアム・ペン(父と同姓同名)は、1660年に入学したオックスフォード大学在学中、クエーカー教に心を寄せて国教に従わなかったことから、1662年に退学させられてしまいました。フランスに渡って見聞を広めたのちロンドンのリンカンズ・イン法学院で学び、1666年自家の領地経営のためにアイルランドへ渡りました。

この地で1667年、正式にクエーカー教徒となると、クエーカーとして説教やパンフレット作成にはげんだことで、数回の逮捕・入獄させられる弾圧にあいました。しかしこれに屈せず、信教の自由と、立憲主義をかかげて闘いました。クエーカーに対する迫害がさらに厳しくなると、ペンは北アメリカに自由な新天地を求める気持ちを強めました。しかし、北米に移住したクエーカーはいたものの、ニューイングランドに拠点をおいた清教徒(ピュリタン)は、クエーカーの移住に否定的でした。

1670年に父親の死により財産をついだペンは、宮廷に出入りするようになり、国王チャールズ2世や王弟(のちのジェームズ2世)と親しくなると、1677年、ペンを含む著名なクエーカーの一団が西ニュージャージー地区の経営に参加することが許され、およそ200人の開拓者が移住して、バーリントンを建設します。ペンはロンドンに残り、開拓地のための自由憲章の草稿を書き上げました。

チャールズ2世はペンの父親に借金があり、1681年3月、ニュージャージーの広大な西部地区と南部地区を弁済に当てることで決着させると、ペンはこの領地を「シルベニア(森の国)」とすると、チャールズ2世はペンの父親に敬意を評して「ペンシルベニア」とするようにアドバイスしたといわれています。

こうしてペンは、1682年にこの地に渡り、「信教の自由」「公正な裁判」「主権を持つ人民により選ばれた代表」「三権分立」など、のちにアメリカ合衆国憲法の基本になる考えを打ち出し、民主的な統治制度の確立に努力をしました。しかし、名誉革命後のジェームズ2世と親交に嫌疑がかけられて領主権を奪われたり、復権後に植民地を再訪して民主的な「権利の憲章」を結ぶものの、晩年は植民地との関係に円滑さを欠き、家族との不和もあって、亡くなったときは無一文だったといわれています。


「7月30日にあった主なできごと」

1502年 宗祇死去…室町時代の連歌師で、和歌の西行、俳句の松尾芭蕉とともに漂泊の人といわれる宗祇が亡くなりました。

1863年 フォード誕生…流れ作業による自動車の大量生産に成功し「世界の自動車王」といわれる実業家フォードが生まれました。

1898年 ビスマルク死去…プロイセン王の右腕として鉄血政策を推進し、1871年ドイツ統一の立役者となったビスマルクが亡くなりました。

1911年 明治天皇死去…王政復古をなしとげ、近代国家の形を整えた明治天皇が亡くなり、大正天皇が即位しました。

1947年 幸田露伴死去…『五重塔』などを著し、尾崎紅葉とともに「紅露時代」と呼ばれる時代を築いた作家幸田露伴が亡くなりました。

1965年 谷崎潤一郎死去……『細雪』『春琴抄』『痴人の愛』などの小説や『源氏物語』現代語訳を著した作家の谷崎潤一郎が亡くなりました。
投稿日:2014年07月30日(水) 05:44

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)