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「国連加盟」 を実現させた重光葵

今日7月29日は、昭和の激動期に、外交官・外務大臣として力を尽くした重光葵(しげみつ まもる)が、1887年に生まれた日です。

今の大分県豊後大野市に生まれた重光葵は、旧制第五高校を経て、1911年東京帝国大法科を卒業後に外務省に入りました。ドイツ、イギリス、アメリカ、ポーランド各国に公使として勤務後、1931年に中国公使となりました。まもなく、日本陸軍の一部が中国東北部を制圧しようと「満州事変」をおこしたことで、重光は外交による協調路線によって収めようと奔走します。

しかし翌1932年1月、日本軍は上海に攻め込んだことで(第1次上海事変)、重光は欧米諸国の協力を得て中国との停戦交渉を行っている最中、朝鮮独立運動家に爆弾を投げつけられ、片足を失ってしまいました(上海爆弾事件)。第1次上海事変を中国が国際連盟に提訴したことがきっかけとなり、1933年2月、国際連盟で日本軍の満州での行動を不当とする決議案(リットン報告書)が圧倒的多数で採択され、これを不服とする日本は、国際連盟から脱退を宣言し、国際社会から孤立していくことはよく知られています。

その後重光は、1936年に駐ソ公使、38年には駐英大使を務め、欧州事情に関して多くの報告を本国に送り「欧州戦争に日本は絶対に介入するな」と再三東京に打電したにもかかわらず、日本政府は1940年、日独伊三国同盟を締結し、アメリカの対日姿勢をより強硬なものにしてしまいました。

1941年12月に太平洋戦争が始まると、1943年の東條英機内閣で外相となり、続く44年の小磯国昭内閣でも留任して、戦時内閣の外交を担当するとともに、「大東亜大臣」を兼任して、人種差別をなくし亜細亜の国々が互いに自主独立を尊重し対等な立場での協力を宣言しています。

敗戦直後に組閣された東久邇稔彦内閣でも外相に再任され、1945年9月2日に東京湾上に停泊した米国の戦艦ミズーリ甲板上で行われた連合国への降伏文書調印式に、日本全権として署名を行いました。外相辞任後は、極東国際軍事裁判にA級戦犯として禁固7年の判決を受けました。この判決は、日本ばかりでなく当時の欧米メディアも無罪を予想していただけに、有罪判決はソ連を満足させるためのGHQによる政治的妥協といわれています。

4年7か月の服役後、1950年恩赦により釈放され、1952年には改進党総裁に選ばれます。1954年12月には鳩山一郎らと日本民主党を結成し副総裁となり、第1〜3次鳩山内閣では副総理および外務大臣として、鳩山と共に、日ソ国交回復や日本の国際連合加盟に力を尽くしました。そして、1956年12月に「日本の国連加盟」を実現しますが、そのわずか1か月後、69年の生涯を閉じたのでした。


「7月29日にあった主なできごと」

1856年 シューマン死去…『謝肉祭』『子どもの情景』 などを作曲し、ドイツ・ロマン派のリーダーといわれるシューマンが亡くなりました。なお、有名な「トロイメライ」は、全13曲からなる『子どもの情景』の7曲目に登場する曲です。

1890年 ゴッホ死去…明るく力強い『ひまわり』など、わずか10年の間に850点以上の油絵の佳作を描いた後期印象派の代表的画家ゴッホが亡くなりました。
投稿日:2014年07月29日(火) 05:27

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)