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「探偵小説」 の江戸川乱歩

今日7月28日は、『怪人二十面相』『少年探偵団』などでよく知られる推理作家・評論家の江戸川乱歩(えどがわ らんぽ)が、1965年に亡くなった日です。

1894年、いまの三重県名張市に役人の子として生まれた江戸川乱歩(本名・平井太郎)は、幼少のころから父の転勤のために亀山市や名古屋市に移り住みましたが、小学生のころに母の影響で探偵小説を読み出し、愛知県立旧第五中学時代は、夏目漱石、幸田露伴、泉鏡花、黒岩涙香らの小説を読みあさるいっぽう、自ら会員制雑誌を発行するほど文学に傾倒しました。

早稲田大学政治経済学部に入学すると、イギリスの作家「シャーロックホームズ」で名高いコナン・ドイルやアメリカのエドガー・アラン・ポーらの推理小説に出合って翻訳をしたり、自作小説を書くものの認められるまでにはいたりませんでした。卒業後は、貿易会社、古本屋、屋台のそば屋など十数種もの職業を転々としました。探偵事務所に勤務したこともあったようです。

そして1923年、ポーの名をもじった江戸川乱歩のペンネームで、暗号のトリックを解読する『二銭銅貨』を「新青年」に発表しました。この作品は、わが国初の本格的創作推理小説といわれ、小酒井不木らに激賞されて鮮烈なデビューをはたすと、『心理試験』『石榴(ざくろ)』『一枚の切符』などを次々に送り出して、「探偵小説」という新分野を確立しました。いっぽう、『蜘蛛(くも)男』『黄金仮面』など長編スリラーを発表し、サスペンス小説という分野も熱狂的に支持されました。

また、『D坂の殺人事件』で初めて名探偵明智小五郎を登場させ、少年たちに人気の高い雑誌「少年倶楽部」には名探偵明智と小林少年や少年探偵団が活躍する『怪人二十面相』『少年探偵団』を連載させて、全国の少年たちにその名を広めました。

太平洋戦争がはじまると執筆を中止し、戦後は創作よりも評論やプロデューサーとして活動しながら推理小説の普及につとめ、1954年には私財100万円を基金として「江戸川乱歩賞」を制定し、新人の登竜門の役割を果たしています。1957年には経営難に陥った探偵小説雑誌「宝石」の編集・経営に参画したり、1963年には「日本探偵作家協会」の創立と財団法人化に尽力しました。


「7月28日にあった主なできごと」

1750年 バッハ死去…宗教的なお祈りや日ごろのなぐさめ程度だった音楽を、人の心を豊かに表現する芸術として高めたバッハが亡くなりました。

1866年 ポター誕生…世界で一番有名なうさぎ「ピーターラビット」シリーズ23点の作者ビアトリクス・ポターが生まれました。

1914年 第1次世界大戦勃発…オーストリアがセルビアに宣戦布告したことから、第1次世界大戦がはじまりました。三国同盟を結んだドイツ、オーストリア、イタリアと、イギリス、フランス、ロシアなどの連合国が対立して、戦争はヨーロッパ中に広がりました。イギリスと同盟を結んでいた日本や、アメリカも連合国側に加わり、30か国以上が参戦して、4年以上にわたる戦いをつづけ、連合国側の勝利に終わりました。
投稿日:2014年07月28日(月) 05:03

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)