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若返りの水

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 101]

むかしむかし、山のふもとの小さな村に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。ある日おじいさんは、山へ炭焼きに出かけました。山の木を切って、炭を焼いて俵(たわら)に詰めて、近くの町ヘ売りに行くための用意です。でもおじいさんは、年を取ってきたために、仕事がつらくなりました。「ああ、腰は曲がるし、目はしょぼしょぼするし、いやになってしもうたなぁ」でも、なんとか炭俵をかついで、ヨタヨタ山を下りはじめめました。

とても暑い日だったので、のどががカラカラに渇きました。ふと見ると、突き出た岩かげから、きれいな水がチョロチョロと吹き出していました。「こいつは、ありがたい」 おじいさんは、その冷たい水を飲みました。「ああ、うまい。なんだか腰がシャンと伸びたようだぞ」おじいさんは水のおかげで元気が出たのだと思い、よく考えもせずに山を下りて家へ帰ってきました。「ばあさんや、帰ったよ」ガラリと戸をあけて家の中に入ると、おばあさんは、とびさがって、「あなたさまは、どなたでしょうか。うちのじいさんの服なんか着こんで」「なにをいうんだい、この家のじいさんだよ」おばあさんがよくよく見ると、まちがいなくおじいさんです。それも、おばあさんがお嫁に来たころの、若いおじいさんでした。おじいさんも、おばあさんにいわれて、はじめて自分が若返っているのに気づきました。

「じいさんや、おまえさんは、どうして、そんな若者になれたのだい?」おじいさんは、岩からあふれでていた清水をのんだ話をし「若返りの水というのがあると聞いたことがあるが、あれがそうだったんだな」と、いいました。「じいさんばかりが若がえって、わたしがしわくちゃばばぁじゃ、つりあいがとれません。わたしもすぐに行って、いただいてきましょう」 「まぁ、ばあさんや、そろそろ日も暮れてくる。あしたの朝にでも、ゆっくり出かけておいで」「とんでもない。その水が止まってしまったら、たいへん。今すぐに行ってくる」と、山のほうへとびだしていきました。

おじいさんは、はちまきをキリリとしめて納屋に入ると、農具をせっせとみがき、台所につり棚をこしらえたり、屋根に登って雨もりの修理をしたりしました。どんなに働いても、若者になったおじいさんは、すこしも疲れません。「若いというのは、こんなにいいものだったかなぁ」とつぶやきながら、夕焼けの山を見上げました。

おばあさんが、若くきれいになって帰って来るのを楽しみに、夕飯のしたくをして待っていましたが、いつまでたっても帰ってきません。「山で、なにかまちがいでもおきたのかな」心配しながら、うとうとしているうちに、夜が明けていました。はね起きて、家じゅうさがしましたが、おばあさんはどこにもみあたりません。「こうしてはおられぬわい」おじいさんは、村の人にわけを話して、みんなで山へ探しにいそぎました。とくに、あの清水のあたりを念入りに探しても、みつかりません。「いったい、どこへ行ってしまったんだろう?」「キツネにでも化かされて、山奥へ連れて行かれてしまったのじゃあるまいか」みんなが話し合っていると、どこからか、赤ちゃんのなきごえが聞こえてきました。「はてな、こんな山奥に、赤子が泣いてるぞ」

声をめあてに近づいてみると、岩から流れる清水のそばの草むらに、おばあさんの着物にくるまった赤ちゃんが、顔をまっ赤にして泣きじゃくっていました。おじいさんは、あっと叫んで近よると、赤ちゃんをだきあげました。「おまえは、ばあさんだな。うんと若くなりたくて、水を飲み過ぎて赤子になってしもうたにちがいねぇ」仕方なく、おじいさんは、赤ちゃんになったおばあさんをだっこして、あやしながら家へ帰ったんだって。


「10月3日にあった主なできごと」

1804年 ハリス誕生…アメリカ合衆国の外交官で、江戸時代後期に初代駐日本公使となり、日米修好通商条約を締結したハリスが生れました。

1990年 東西ドイツ統一…第2次世界大戦後、東西に分裂していたドイツは、45年ぶりに統一されました。

投稿日:2013年10月03日(木) 05:27

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)