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勘定板

「おもしろ古典落語」132回目は、『勘定板(かんじょういた)』というお笑いの一席をお楽しみください。

「ところ変われば品変わる」というように、同じものでも、場所によってよび名が変わるということはよくあることです。東京で「坊ちゃん」というのを大阪では「ぼんぼん」、東京の「おじょうちゃん」が大阪では「いとはん」といいます。東北のほうへいきますと、「おりる」というのを「おちる」、ものごとが「済(す)んだ」というのを「しんだ」というところがあるそうです。そういうところの人が電車の車掌さんになって、「『お乗りのかたは、降りたかたが、済んでからに願います』というのを、『お乗りのかたは、おちたかたが、しんでからに願います』」とやったものですから、お客さんがビックリしたなんて、うそのようなほんとの話があります。

むかしは、便所というのがない村があったそうで、用をたすときは、川にヒモのついた板が流してありまして、この板をひっぱりあげて、この板の上で用をすませます。終わるとこの板をまた川へもどすと、川の水がきれいに洗ってくれる。水洗便所の元祖のようなものですね。こうして用を足すことを「勘定(かんじょう)する」といっていました。ひまな所と書く「閑所(かんじょ)」がなまったという学者もいますが……。「勘定する」ときの板が「勘定板」、その場所が「勘定場」ということになります。

この村から、江戸見物にやってきた親子連れが、上野の宿屋に泊まりました。「父っつぁまよぉ、おれ、急に勘定ぶちたくなっただ」「そりゃ困ったな。昼に食べたすしのせいかもしれねぇな。食いつけねぇもん食ったせいだろ」「すしだけじゃねぇ、さっきはうどんも食ったし、いろんなもん食って、腹がいっぺぇだ。早く、だすもんださねぇえと、気分が悪くっていけねぇ。勘定場はどこだべぇ」「それじゃ、若い衆にきいてみるべぇ」

手をたたきますと、すぐに宿の若い衆がやってきます。「へぇ、お呼びでこざいますか。ご見物は明朝からということで、案内人に先ほど申しつけまして、明朝早めにお迎えにまいります。ただいま、お風呂の支度もいたしておりますが、お呼びになりましたご用件は?」「せがれが、勘定をちょっくら、ぶたしてもらいてぇ」

「ただ今ですか? 5日ほどお泊りとうかがっておりますが…、宿のお勘定なら、お帰りになるとき、まとめていただいております。それで、けっこうなんで……」「はぁ? するてぇと、勘定ぶつのは、5日も先か?」「へぇ、さようで」「とても、そうは待てねぇ、江戸はどうか知らねぇが、おらっとこは、毎日勘定ぶつだ」「さようですか。そりゃ、毎日勘定をいただいてもかまいませんが、そんなにお急ぎにならなくとも」「おめぇは急がなくたって、おらぁ、急ぎてぇ」「そりゃ、えらく、おかたいことで」「かてぇか、やわらけぇかは、やってみねぇとわからねぇ」「わかりました。では、さっそくですから、いただいてまいりましょう」「いただく? 勘定場へ案内ぶってくんねぇかな」「へぇ、帳場のほうが、ただいま、ごたごたしてますんで、なるべくなら、こちらでねがいたいんですが」「ありゃ、ここでぶってかまわねぇのけ。そんじゃ、勘定板かしてもらいてぇ」「勘定板?」

勘定板と聞いて宿の若い衆は、算盤(そろばん)のことだろうと、気をきかせて帳場から持ってきました。そのころの算盤ですから、裏に板が張ってあるもので、それを持ってきました。「どうも、お待ちどうさま……」「えっ、これが勘定板? えらく幅もせめぇし、たけも短けぇな。これじゃ、勘定がはみだすようなこと、なかんべぇか」「そんなことはございません。どんな大きな勘定でも、そのなかにおさまりますので」「うーん、これでおさまればええがなぁ。で、どこでぶつべぇか。人の見てる前じゃ、こっ恥ずかしくてためだ」「なるほど、では、お隣りの部屋が空いておりますから、お使いください。床の間の前が、日当たりがよろしゅうございますから」「えっ、なにかい? 床の間の前でぶってもかまわねぇのけぇ」「へぇ、お済みになりましたら、ちょっと、お手を願いまして、手前があとでちょうだいにあがります」「いやぁ、そりゃすまねぇ、お頼み申すだよ」

隣の部屋へ入ったせがれ、算盤を裏返してこれにまたがって着物をまくったところ、床が少しばかり傾斜しているのか、算盤がころころと廊下へ転がり出ました。

「ありゃりゃりゃ……。父っつぁま、ちょっくら出てきておくんなせぇ。江戸は便利だ、勘定板が、車仕掛けだ」


「10月4日にあった主なできごと」

1669年 レンブラント死去…『夜警』『フローラ』『自画像』など数々の名画を描き、オランダ最大の画家といわれるレンブラントが亡くなりました。

1814年 ミレー誕生…『晩鐘』や『落ち穂ひろい』などの名画で、ふるくから日本人に親しまれているフランスの画家ミレーが生まれました。

1957年 初の人工衛星…ソ連が世界初となる人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功しました。これ以降、アメリカとソ連の宇宙開発競争が激しさを増していきました。

投稿日:2013年10月04日(金) 05:40

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)