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泣き塩

「おもしろ古典落語」の121回目は、『泣(な)き塩(しお)』というお笑いの一席をお楽しみください。

「あのぅ、お武家さま、お武家さま」若侍が、往来でいきなり若い娘に声をかけられました。「せっ者に、なにかご用か?」「…はい、あのう、わたしはお花ともうしまして、いまこの江戸で奉公しております。母親が遠い田舎におりまして、さきほど、田舎から赤紙つきの手紙がまいったのでございます」赤紙つきというのは、急用の手紙のことで、いまの書留速達みたいなものです。「このあいだから、母は身体が悪いと聞いて、心配していたのでございます。あのー、わたしは、はずかしい話ですが、字というものが読めませんので、お武家さまに読んでいただけないかと……」「うむ、せっ者に、手紙を読めともうすか」

若侍、さっと手紙に目を通すと「あー、残念だ。手おくれであるぞ」「手、手おくれ? ああ、どうしましょう」「ああ、くやしい、残念じゃ。あきらめろ」いきなり泣き出したから、お花はびっくりぎょうてん。母親が死んだと思いこみ、こちらもわっと泣き出しました。

これを見ていた二人の町人。「おい、あそこで、若っけぇ女と侍が泣いてるね」「どうしたんだろう」「おれが思うに、あの二人はひとつ屋敷に奉公してたんだな」「へー、そうかね」「お屋敷ってぇところは、かた苦しいとこだ。片方は奥方づきのお女中、片方は、…そうだ、殿さまづきの若侍。二人は、人目をしのぶ仲になっちまったんだな」「ふーん」「それが、とうとうバレちまった。ほんとうなら、『不義はお家のご法度』てぇことで、お手打ちになるところだ。それを奥さまのお情けで、あの二人は永(なが)のおいとまということになって、裏門から、お屋敷を追い出されたんだな」「なーるほどね」「すると男は、『わしは、これから武士として身を立てねばならぬ、おまえは、どこへでも奉公してくれ』っていったんだな。それを聞いて女は、『わたしはもう、あなたの赤ちゃんをお腹に宿しております。あなたと別れるくらいなら、死んだほうがましです』…と泣いたんだ。そういわれて男も、『それなら、わたしもおまえと死のう』ってことになったんだ」「へーぇ、そうかね?」「じゃねぇかなって、……思うんだ」「感心して聞いてりゃ、いいかげんなこというな」

「えーっ、焼ーき塩ーっ!」天てんびん棒をかついだ、焼き塩売りのじいさんがやってきました。「もしもし、どうなすったんですか。若いお二人が、おたがいに泣いてるってのは。あなたもまだお若いお武家さま。あたくしにもあなたと同じくらいのせがれがおりますが、道楽者で、どこへいったかわかりません。そんなやつでも、親としては片時も忘れたことはありません。よろしかったら、おふたりで、手前の家にいらっしゃい。決して悪いようにはいたしません」

「おいおい、あそこで、こんどは塩屋のじいさんまで泣きだしちゃったぜ」「へぇー、あの場所は、人が泣きたくなる、泣き場所かねぇ」なんて、二人の町人が首をかしげているところへ、また一人の男がやってきました。「おい、おい、お花じゃないか? どうしたんだ、なに泣いてるんだ?」「あっ、おじさん、たいへんなことになっちゃったの」「たいへんって、どうしたんだ」「田舎から赤紙つきの手紙がきて、いま、このお武家さんに読んでいただいたら、残念ながら、手おくれだって、どうしたらいいんでしょう」「えっ、するとおまえのおっ母さんが? そりゃたいへんだ。お武家さま、ちょっと、その手紙を見せてくださいまし。うーん、おいおい、この手紙はなんだよ」「えっ、おっ母さんが死んだって書いてあるんじゃないの?」「冗談じゃない。おっ母の病気がよくなったって書いてある。おまえ、田舎に茂助さんっていう人がいるだろ」「え、ええ」「おまえのいいなずけだそうじゃないか」「は、はい」「その茂助さんが、年期明けで、のれんを分けてもらって商売をはじめるそうだ。お花を田舎に呼んで祝言したいという、めでたい手紙じゃないか」「わぁ、なんてうれしい知らせなんでしょ。じゃ、おじさん、わたしこれから髪結いさんへいってから、すぐに田舎に……」

「うん、いっておいで。うれしいだろうね。あっはっはは。よろこんで手紙持って、走っていっちまった。ところで、お武家さん、なんでまた、まだ泣いてるんです?」 「うーん、残念だ、手おくれだ」「なにが、残念の手おくれなんです?」「いや、せっ者は手紙のことを、残念、手おくれといったのではないのだ」「へっ、そうなんですかい」「それがしは生まれついての学問ぎらい。武芸は、剣術、柔術、槍術、馬術…なにひとつ習わぬものはなく、それで一人前の武士と思っておった。けれど、学問については思いをよせることなく、それがため、いまだに文字ひとつ読めぬ。あの娘に手紙をさしだされ、武士たる者が読めぬとは口に出すこともできぬ。けれど、今となっては、もはや手おくれ、残念だ、あきらめろ、とおのれにいいきかせ、われとわが身のなさけなさに、泣いておったのだ」

「あっ、そうでしたか。そいつをお花が、母親が死んだとまちがえて…、そいつは、しょうがないですなぁ。で、焼き塩屋のおじいさん、あんたまでが、まだ泣いてるのは、わからねぇな」「へへっへ。わたしはね、人さまのことでも、なにかあると、すぐ涙がでるたちなんでして」「ほうっ、そうかい」「へい、あたしの商売がそうなんです」肩に天びん棒を当てると……

「えーっ、泣ーき(焼き)塩ぉーっ」


「6月14日にあった主なできごと」

1571年 毛利元就死去…戦国時代に全中国地方と四国の一部を支配し、毛利家の最盛期をつくった毛利元就が亡くなりました。

1811年 ストー夫人誕生…キリスト教人道主義の立場から、黒人奴隷の悲惨な境遇に心を痛め『アンクル・トムの部屋』を著したアメリカの女流小説家ストー夫人が生まれました。同書刊行から9年後に南北戦争がおきたため[戦争を巻きおこした小説]といわれるほど人々の支持を受けました。

1910年 『遠野物語』発刊…古くから庶民のあいだに伝え受けつがれてきた民話、生活のすがたや文化などを研究する学問「民俗学」を日本に樹立した柳田国男が代表著作『遠野物語』を刊行しました。この本で、岩手県遠野地方に伝わる民話が全国的に広まりました。

投稿日:2013年06月14日(金) 05:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)