「おもしろ古典落語」の128回目は、『鼻きき源兵衛(げんべえ)』というお笑いの一席をお楽しみください。
江戸の下谷に、長者町というところがありました。名前を聞いて金持ちばかりが住んでいるかと思えば、その日ぐらしがやっとというような貧乏人が多いところでした。ここに八百屋の源兵衛という心の広い人がおりまして、近所に困っている人があると商売ものの残りを持っていったり、もっと困ってる人には、小遣いを貸してあげるほどでした。
ある夏のことです。この源兵衛がかぼちゃをかついで商売にでかけ、一日歩いてようやく残りもわずかになり、家へ帰ろうと両国橋に通りかかりました。「ああ、気持ちがいいな、いい風だ。考えてみりゃ人間の一生なんて、それほど長いものでもねぇな。それにしても向こうの茶屋の二階で、芸者をあげておもしろそうに騒いでいる奴があるが、あれも人の子、こっちも人の子だ。おれなんざ、朝から晩までてんびん棒かついでうろつきまわってても、たかが知れてる。そうだ、八百屋なんてやめちまおう。このてんびん棒があるからいけねぇんだ。おい、てんびん、おまえにゃずいぶんやっかいになったが、いよいよ今日でお別れだ」と、ざるごと川へ投げこんでしまいました。
「お帰んなさい、さぞ暑かったろうね。家の中にいても暑いのに、重い荷をかついで歩くんだもの、おや、荷はどうしたの?」「うん、あがってから話をする」「なんだい話ってのは」「あらためていうのもおかしいが、おみつ、おめえはおれの女房だな」「なにをいうんだい、あらためていうまでのこともないじゃないか」
「よし、じゃこれからおれのいうことは、どんなことでもはいはいって、向こう三年のあいだ、聞いてることができるか。できねぇようなら、たったいま離縁をするから出てってくれ」「なんだね、おまえさんとはこれまで、いさかいひとつしたことない仲じゃないか。それなのに、だしぬけに離縁をするの、出て行けってのは。わけを話さなきゃ、わからないだろう」「それがいけねぇんだ。わけを聞かずに三年のあいだ、おれのすることを見ててくれりゃいい」「わかったよ、おまえさんがそういうなら、そうするけどさ」「よし、それならいうぞ。じつは、八百屋をやめちまったんだ」「えっ、それでこんどは、何をはじめるんだい」「それがよけいだってんだ。いいか、家にあるもんはすっかり売りはらっちまう。こんな裏長屋なんぞに住んでたんじゃ、それだけの運しきゃころがりこんでこねぇからな。それからおまえ、おばさんのとこへいって、五両借りて来い。これまでは、びた一文借りたことのねぇおれだ。もし貸さねぇといったら無理に借りて来るな。なににするんだかわかませんが、ただ借りてこいというんで来ましたと、なんにも余計なことをいうなよ」
こうして、二十両ほど手にした源兵衛、弁当箱をこしにぶらさげて、よい貸し家がないかと、毎日朝早くから出かけていきます。それから三日ほどして、日本橋・白木屋前に大きな家をみつけました。間口七間(約12.7m)奥行十三間(23.6m)、土蔵つきで、店先から奥まで、百八十五畳のたたみが敷けるというほどです。古着屋へいって、のれんを買ってきましたが、大きなお店にかけられるような大きなのれんがありません。近江屋、三河屋、松坂屋というのれんを買ってきてこれを並べ、引っ越してくると、近所へあいさつまわりをはじめました。
「へぇ、ごめんくださいまし。私は、こんど近所へ引っ越してまいりました近江屋三河屋松坂屋の源兵衛というものでございます。どうか、なにぶんにもお心やすく願います」「おたがいさまで、どうぞ、ご懇意に願います。ついては、おたくの商売は?」「私どもは世間の金を集めるのが商売で、おいおいお分かりになります」「ああ、さようで…」何をはじめるのかと思って、みんな興味しんしんです。源兵衛、毎日、大きな声でどなっています。「おい、五兵衛や、畳屋はまだ来ないかい。困るね、金ばかり先に取って、しようがないなぁ。催促にやっておくれ。それから善兵衛どん、大工はどうしたい。まだきません? 困ったね。おいおい、長吉、なぜそう小判をふんで歩くのだ。歩く所がないだと。ひとっところへ山のように積み上げろ……」店の戸は閉めてありますから、近所の人にはわかりっこありません。
そんなある日のこと、向かいの白木屋へ、りっぱなみなりのさむらいがたずねてきました。「さてご主人、てまえどもの名前は申されんが、そなたに品物の鑑定を頼みたくまかり越した」「はい、どのようなもので」「うむ、この箱の中に入っている布じゃが、このたび、姫君がおこし入れをするについて、これにてお守り袋をつくることにあいなった。ところが、なにぶんにもこの布の名前がわからん。出入りの呉服屋に見せたが、だれもわからんと申す。そこで、江戸で知られた白木屋ならば、この布の名もわかるだろうと存じて、めききをたのみにまいったのじゃ」「かしこまりました。しばらくお待ちを」ということになって、主人は、一番番頭に布をみせましたが、わかりません。それではと、二番、三番〜十番番頭まで、次々に見せましたが、だれにもわかりません。そこで主人は、「ただいまのところでは、ちょっとわかりかねます。おそれいりますが、三日のあいだ、おまちくださいませんでしょうか。よく調べまして、ご返事をいたします」「さようか、しかし、たいせつな品ゆえ、まちがいのないように頼むぞ」
さむらいが帰ってから、主人は店じゅうの者を集めて、かわるがわる見せましたが、やはりだれもわかりません。しかたなく、布を店の軒先にぶらさげて、この名を教えてくれたものには、金百両をさしあげるという札を下げました。たちまち、あたりは黒山の人だかり。でも、商売人が見てもわからないものを、しろうとがわかるはずはありません。源兵衛も、これを見ながら、なにかよい方法がないかと考えていた時、一陣の風が吹いてきたかと思うと、あっというまに布を舞い上げて、ひらひら飛んでいきます。やがて布は、源兵衛の店と土蔵のあいだに流され、土蔵の軒下に打ってあった折れ釘に、ひょいとひっかかったのを源兵衛は見つけました。
さぁ、こうなると白木屋は大騒ぎです。たちまち店を閉めて、主人をはじめ店じゅうのものが探しまわりますが、見つかりません。しまいには易者を連れてきて占いをたててもらう、神官をよんできてお祈りをするやら…。そこへ、ひょっこりやってきたのが源兵衛です。「なにかこちらで、たいせつな布をなくしたことをききまして、お気の毒なことでございます。じつは、わたしは先祖から伝わりました秘法で、鼻の力で何でもかぎだすという、ふしぎな能力をもっております。それゆえ、ご近所のよしみで、ちょっとかいで進ぜようとまいりました」「それはご親切に、どうかお願いいたします」
源兵衛、もっともらしい顔つきで、くんくんやりだしました。「どうも、台所のほうでにおいますな」「あっ、さようで」「いや、台所を通り越して、もっとむこう。おや、向かいの私の家のほうでにおいが強くなっています。あっ、ここです。この土蔵の折れ釘にでもひっかかっているはずです。しらべてみてください」それっと、店の者がはしごをかけてのぼってみると、源兵衛のいったとおり。「あった、あった」と白木屋のものたちは、大喜びです。「また何かなくなりものががありましたら、ちょいとかいであげましょう」とえらそうなことをいって、帰ってきました。
翌朝のことです。「ごめんくださいましまし。私は白木屋の番頭でございますが、きのうはありがとうございました。お礼のしるしと存じまして、はなはだ失礼ではございますが、二百金ございます。どうぞお納めくださいまし」ということになりました。「どうだ、おれのやることに、まちがいはねぇだろう」と、源兵衛は女房に鼻たかだかです。
それから二十日ばかりして、白木屋の番頭がやってきました。京都にある本店の出入り先の関白家で、帝(みかど)からあずかった由緒ある定家卿(ていかきょう=藤原定家)の色紙がなくなったので、これをかぎ出してほしいという依頼でした。源兵衛は驚きましたが、京都へ行って名所を見物して、どうしてもにおいがしませんといって帰ってくればいいんだと、あっさり引き受けました。
道中の費用は、いっさい白木屋もちで、京都へ着くと、まず近衛関白殿下にお目通りをすませました。それから京都じゅうをかいで歩こうと、金閣寺、南禅寺、清水寺、三十三間堂などをかいで歩きましたが、どうしてもわかりません。祇園や島原へでかけたものの、おしろいのにおいばかりで、さっぱり色紙のにおいいがしません。源兵衛、もう見るところがなくなって帰ろうかと思いましたが、話のたねに御所の中を見たいものだと考えました。「どうも町の中には色紙はないようですな。この上は御所の中をしらべる他はありません」
でも、平民を御所に入れるなんてできないため、こまった関白殿下は、お役人たちを集めて相談したところ、いっそのこと、源兵衛をお公卿(くげ)さまにしたらどうかという話になりました。源兵衛は、左近尉(さこんのじょう)近江屋三河屋松坂屋守(のかみ)鼻きき源兵衛というもっともらしい名前をつけられ、笏(しゃく)というものを持ち、烏帽子(えぼし)をかぶって、御所に入りました。
源兵衛は、すっかり偉くなった気持で、そっくりかえっています。「ああ、これこれ、そのほうたちについてこられると、汗のにおいが鼻について、色紙のにおいが消えてしまう。いずれへなりとまいって、休息いたせ」と、役人を追いはらい、「ああ、いい心持ちだなぁ。人間の運というものは、どこにあるかわからねぇもんだ。八百屋の源兵衛が、お公卿さまになろうとは思わなかった。かかあに話したらさぞ驚くだろう」とひとりごとをいいながら歩いているうちに、大きな木の空洞(ほらあな)になっているところでけつまずいてしまいました。中が空洞なので、ポーンといい音がしました。これはおもしろいとボーン、ボーンとけとばしていますと、空洞から、ノソノソはいだしてきた男があります。
「へぇ、どうぞお助けくださいまし」「なんだ、きさまは」「へぇ、どろぼうでして」「どろぼうはわかっておる、わかっておるぞ」「白状いたします。あっしは、ふた月ほど前に、あるよんどころない方から頼まれまして、定家卿の色紙ってやつを盗みだしたのでございます。ところが、御所のまわりは役人がびっしりで、逃げだすことができません。しかたなく、この空洞の中に隠れておりまして、夜になると抜け出しては、いろいろ食べものを盗んではそれを食べ、かこみのとれるのを待っておりました。そこへ、江戸から鼻きき源兵衛というえらい人が乗りこんできて、においで色紙のありかをさがすといううわさです。あっしは、もう生きたここちもせず、ふるえていたところ、ボーン、ボーンと……へぇ、おそれいりました。いのちばかりはお助けを」「うむ、そうだろう、そうだろう。どうも、この空洞がくさいと思った。とにかく、おまえが白状したのだから、いのちだけは助けてやろう。ともあれ、もう二三日は、このほら穴の中へ入っておれ。色紙さえ出れば、かこみもとけるだろうからな」
源兵衛、どろぼうから色紙をとりあげると、近衛関白どのお手許へさしあげると、もう大喜びです。「いや、まことにそのほうはえらいものじゃ、何なりとほうびをつかわすから望め」というありがたいおおせです。小判をたっぷりもらったうえに、「そのほかには望みがないか」といいます。「それでは、吉野山というところは景色のよいところだそうで、あちらへひとつ、家をたてていただけませんでしょうか」というと、「よしよし」というので、さっそく吉野山にりっぱな御殿ができました。これを吉野山の鼻きき御殿といいまして、源兵衛は江戸からかみさんをよびよせて、そこに住むことになりました。さぁ、このうわさはたちまち、京都じゅうに広がりまして、寄るとさわるとこの話ばかり。
「なぁ、金兵衛はんや。こんど吉野山へりっぱな御殿ができたそうやおまへんか。なんでも近江屋三河屋松坂屋守鼻きき源兵衛ちゅう方の御殿だそうやが、鼻ひとつで御殿をたてたとか、えらいもんじゃな。いちどでええからその鼻が見たいものやな」
「あなたそないに『はな』が見たいか。『はな』(花)が見たけりゃ吉野へござれ」
「8月23日にあった主なできごと」
1868年 白虎隊の最期…明治新政府軍と旧幕府との間の戦争を戊辰戦争といいますが、旧幕府軍の拠点である会津藩(福島県)に、白虎隊という16歳〜17歳の会津藩士の子弟343人で構成された組織ができていました。8月に入ると新政府軍は会津の鶴ヶ城へせまり、落城寸前になった22日、白虎隊の出陣が許され激しい戦いにいどみました。そして翌日、城が煙につつまれているのを見た生き残りの隊員20名は、落城したと勘違いし、お互いに刺しあって飯盛山で命を絶ったのでした。
1879年 滝廉太郎誕生…明治時代の洋楽揺籃期に、『荒城の月』『花』などの歌曲や、『鳩ぽっぽ』『お正月』などの童謡を作曲した滝廉太郎が生まれました。
1914年 日本対ドイツ戦に参戦…第1次世界大戦がはじまり、日英同盟を結んでいた日本は、ドイツに宣戦を布告しました。ヨーロッパ諸国がアジアから撤退しているすきに、中国に手を伸ばすのが日本のねらいでした。