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動物園

「おもしろ古典落語」130回目は、『動物園(どうぶつえん)』というお笑いの一席をお楽しみください。

動物園というのは、今では全国あちこちにありますが、日本ではじめにできたのが、東京・上野の動物園で、明治15年の開園だそうです。明治36年になりますと、京都・東山にもできて、動物の数や種類からいっても、これが東西の双へきということになりました。そのころ、こんな大きな動物園へ行けない人のために、動物博覧会という見世ものがはやりました。いわゆる移動動物園で、地方都市では、とても評判になっていました。

東京の下町に、失業中の留吉という男がおりまして、いよいよ金も底をつき、しかたなく以前世話になった先輩の家に相談にいきました。すると、1か月に百円かせげる仕事があるといいます。百円といえば当時の勤め人の半年分もの高収入です。

「じつはな、こんど動物博覧会の仕事を手伝うことになったんだ」
「あー、うわさに聞いてます。外国から、真っ黒なライオンがくるとかいって…」
「そう、それだ。じつはな、そこの団長ってのが、アメリカ人で、あたしの友人なんだ。このライオンのおかげで、世界じゅうの評判をとって、こんど東京にくることになった。すっかり準備もととのったんだが、困ったことがおきてしまった」
「どうかしましたか?」
「日本にくる船の中で、ポックリ死んじまったんだよ。これがいなくちゃ、人が集まりそうにない。悩みぬいて、ぬいぐるみの黒ライオンを出そうってことになった。このあいだ見せてもらったんだが、とてもよく出来ている。目玉は動くし、ボタンを押すと口を開けてウォーッとほえるしかけもある。どう見てもホンモノだ」
「へぇーっ、たいしたもんですね」

「で、そのぬいぐるみには、だれかが入らなくちゃならない。身体が大きくてのっそりして、気が長くて、どちらかといえばぼんやりしている男がいい。団長から、だれか心当たりがないかといわれて、あたしの頭にうかんだのが、失業中で、ぶらぶらしてるというおまえさんだ。明日にも、使いを出そうかと思ったが、その手間がはぶけたな。期間は1か月、毎日朝9時から夕方4時まで、食事もむこう持ち。上野動物園とはちがって、30分ばかりで休憩になるから、幕が降りたら、岩のうしろから楽屋にもどって一服していいし、暑かったらふんどし1枚でぬいぐるみに入ったらいい。これで百円だよ、どうだ、やってみる気はないか?」
「うーっ、うーっ」
「ここでライオンみたいな声をだすな。やるか、やらぬか、どうだ」
「うーっ、やります」

ライオンの歩き方の訓練をうけた留さん、家に帰っても、女房や子どもにもいえません。もっとも「こんどの動物園の、あの黒いライオンは、うちのおとっつぁんだ」なんて宣伝されたら、ぶちこわですし、お上に知れたら、手が後ろに回るかもしれません。

開場当日の朝、大きな広場へ行ってみると、
「黒いライオンなんて、ほんとうにいるのかい?」
「それがいるってんだよ、早く見たいな」
「どこにいるんだ、早くだせ」……いやはや、満員の大盛況です。

この動物博覧会はサーカスと同じ興行方式で、まもなく、タキシード姿の外人があらわれ、片言の日本語でしゃべりはじめました。

「親愛なる日本のみなさま、ごきげんよう。このたび、わたしたちは、たくさんの動物たちといっしょに、ご当地にやってまいりました。そのたくさんいる動物の中でも、もっともめずらしいのが、百獣の王といわれるライオンであります。ライオンといっても、どこにもここにもいるというライオンとちがいまして、全身が真っ黒、ブラック・ライオンです。さぁ、世にも珍しい真っ黒いライオン、さぁ、どうぞ……」

口上とともに、ラッパが鳴ると、ブカブカドンドンの楽隊の演奏とともに幕が上がります。ぬいぐるみの中の留さん、次第に興奮してきて、「こいつはいい商売だ、生涯ライオンで暮らそうか」などと、勝手なことを思いながら、大熱演。

やがて、また外人の弁士が現れまして、
「いかがでしたか、みなさん、ごらんいただけましたでしょうか、黒ライオンのすばらしさを……。さぁて、これからご覧に入れますのは、東洋の猛獣の王・虎(とら)=タイガーでございます。虎というのは、ふつうは黒と黄のブチですね。ところが、ここにおります虎は、珍しい白と赤のブチでございます。白と赤は、ニッポンの日の丸の旗とおなじ。ホワイト・アンド・レッド・タイガーです。こんな虎は、世界じゅうさがしてもめったにいません。それがここにいるのです」
口上が終わると、虎が「うぉー、うぉー」と、ものすごいうなり声。ライオンの前にいる見物人は、いっせいに虎のほうになだれうちます。

「えー、みなさん、ライオンと虎、もし戦ったとしたら、どちらが強いと思いますか。今日は開園記念の特別サービスの余興といたしまして、ライオンと虎のあいだの柵(さく)をとりはずします。さぁ、どうなることか、わたし知らない、あなたがた知らない」


柵がとりはずされ、驚いたのは留ライオンです。
「うわーっ、どうも話がうますぎると思った。こんなことで、虎に食い殺されたんじゃ、百円ばかりじゃとてもわりがあわない、ああこれがこの世の見納めか。『なむあみだぶつ・南無阿弥陀仏』」と唱えると、ノッシノッシと歩いてきた虎が、耳へ口をよせて……、

「心配するな。おれも百円でやとわれた」


「9月17日にあった主なできごと」

1867年 正岡子規誕生…俳誌「ホトトギス」や歌誌「アララギ」を創刊し、写生の重要性を説いた俳人・歌人・随筆家の正岡子規が生まれました。

1894年 黄海の海戦…日清戦争で、日本連合艦隊と清国の北洋艦隊とが鴨緑江沖の黄海で激突、清国海軍は大損害を受けて制海権を失いました。日本海軍が初めて経験する近代的装甲艦を実戦に投入した本格的な海戦として知られています。

投稿日:2013年09月17日(火) 05:07

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)