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安兵衛キツネ

「おもしろ古典落語」134回目は、『安兵衛(やすべえ)キツネ』というお笑いの一席をお楽しみください。

ひとり者ばかりが住んでいる六軒つづきの長屋がありました。みんなが気があうかといいますと、そうでもありません。四軒の方のグループは仲がいいのですが、奥の変わり者の二軒とは、犬猿の仲です。奥のひとりは源兵衛といって、人が暑いといえば寒い、白といえば黒というところから、「へんくつの源兵衛」といわれています。もうひとりの安兵衛は、いつもグズグズしているので「グズの安兵衛」、つまってグズ安。へんくつとグズは、どういうわけか仲がいい。

ある秋の日、四軒のほうの連中が集まりました。
「おう、みんな、こんなにそろって仕事が休みなんてめずらしいや、どうでぇ、どっかへでかけねぇか」
「ちょうど、萩が見ごろっていうから、亀戸あたりへくりだすか」
「そいつはいい、せっかくだから源兵衛とグズ安にも、声をかけてやろうじゃねぇか」
「おーい源兵衛、長屋の連中が萩を見に行こうってんだ。おめぇもいかないか」
「そんなの見たってしょうがねぇ。見たけりゃ大家のとこへいくよ」
「大家んとこにゃ、萩はねぇだろ?」
「ハギはねぇが、ハゲがあらぁ」
「あんなこといってやがる」
「おらぁ、大勢で萩なんぞ見にいくより、ひとりで墓でも見にいきてぇ」
「あいかわらずのへんくつだ、かってにしろ。おーい、安兵衛、萩を見にいかないか、酒があるぜ」
「なに? 酒が飲めるのか。タダか?」
「タダじゃねぇ、ワリカンだ」
「それじゃやめた、めんどうくせぇ」

四人はあきれて行ってしまいます。源兵衛は、ほんとうはみんなと酒でも飲みたいのに、墓にいくといったてまえ、ひょうたんに酒を入れて、谷中の墓地までやってきました。どうせ墓で一杯やるなら女の墓がいいと「ナントカ信女(しんにょ)・没年26歳」と書かれた塔婆(とうば)の前で、チビリチビリとやっていました。すると、風がでてきて、急に塔婆が倒れてしまいました。後ろに回ってみると大きな穴があいています。塔婆で突っつくと、コツンと音がするので、よく見ると白いものがあります。
「おやっ、こりゃ骨だ」
むかしは火葬をしなかったので、土葬といって、棺桶に入れた死体を穴を掘ってうめ、その上に墓をこしらえましたから、桶がくさって、穴が浅いと、白骨が見えることがよくありました。
「こいつは気の毒だな。これもなにかの縁だ。回向(えこう)してやろう」と、残っていた酒をかけ、「ナムアミダブツ」と手をあわせて家に帰りました。

その日の真夜中のことです。「ごめんくださいまし」と女の声がします。はておかしいと出てみると、大変な美人が立っています。谷中からやってきたゆうれいで、生前酒好きだったので、昼間あなたがお酒をかけてくれて浮かばれたから、ご恩返しにきたといいます。ゆうれいは強引に、源兵衛のおかみさんになってしまいます。出てくるのは夜だけで、夜明けとともに消えてしまいます。

さて、女の酌でごきげんに一杯やっている源兵衛の姿を見たとなりのグズ安、いやみをいおうと、翌朝源兵衛に声をかけます。
「おい、源さん。水くさいじゃねぇか。かみさんをもらったんだろ」
「見たのか」
「見たぞ、ちょっと青白いけど、いい女じゃないか」
「こいつが、わけありなんだ」と、これまでのいきさつを話すと、安兵衛は、目を丸くしておどろき、自分も女房を見つけようと、同じように酒を持って谷中の墓地へでかけました。

なかなか手ごろな墓が見当たらず、奥のほうに行きますと、猟師がワナをかけてキツネをとったところにでくわしました。
「キツネつかまえてどうするんだ?」
「皮をはいで売るんだ。おれの商売なんだ」
「皮をむかれたら、キツネは痛いだろうね」
「そんなこと、キツネに聞いてくれ」
気の毒になった安兵衛、キツネとりと交渉して、金を払い、キツネをにがしてやりました。

さて、その晩のこと。若い娘に化けたあのキツネが、安兵衛のところにやってきて、お礼がしたいと、押しかけ女房になります。源兵衛のおかみさんがゆうれいで、安兵衛のおかみさんがキツネ、奥の二軒がきゅうににぎやかになったものですから、長屋の四人は、落ちつきません。
「源兵衛とこのかみさんは人間みたいだけど、安兵衛んとこのかかぁは、おかしくねぇか」
「そうだな。目がキョトンとして、口がとんがってやがる」
「おまけに、言葉づかいがおかしくねぇか。『おはようございます、コン』なんて、言葉のしまいに『コン』とか『コーン』てつくだろ」
「まるでキツネみたいだ」
これはどう見てもおかしいと、安兵衛が留守の間に家に押しかけました。

「まあ、安兵衛は用足しに出かけたんですよ。コン」と声がします。
いじの悪いやつが、戸をガラッと開けて「ワン!」と犬の鳴き声をすると、キツネ女房は、引き窓から跳んでにげてしまいまいました。
ことによると、安兵衛もキツネかもしれないと、近所にすむグズ安の父親をたずねました。でも、耳が遠くていっこうに話が通じません。
しかたなく、耳に口をつけるようにして、大きな声で「あのね、安兵衛さんは、お宅にいってませんか?」
「なに、安兵衛がどうした?」
「来てませんか?」
「安兵衛はコン(来ん)」

「あ、じいさんもキツネだ」


「11月12日にあった主なできごと」

1840年 ロダン誕生…19世紀を代表する彫刻家で『考える人』『カレーの市民』『バルザック』などの名作を数多く残したロダンが生まれました。

1866年 孫文誕生…「三民主義」を唱え、国民党を組織して中国革命を主導、「国父」と呼ばれている孫文が生まれました。
 
1871年 日本初の女子留学生… 岩倉具視を団長に、伊藤博文、木戸孝允ら欧米巡遊視察団48名がこの日横浜港を出港。そこに59名の留学生も同乗、その中に後に「女子英学塾」(現・津田塾大)を設立する6歳の津田梅子ら5名の女子留学生の姿がありました。
 
1898年 中浜万次郎死去…漂流した漁船にのっていてアメリカ船にすくわれ、アメリカで教育を受け、アメリカ文化の紹介者として活躍した中浜万次郎(ジョン万次郎)が亡くなりました。
 
1948年 極東軍事裁判判決…太平洋戦争敗戦後、GHQ(連合軍総司令部)による占領政治が開始されると、満州事変以来の政府と軍部指導者の戦争責任をさばく極東軍事裁判(東京裁判)が1946年から31か月にわたっておこなわれました。この日に最終判決が下され、東条英機ら7名に死刑、被告25名全員が有罪とされました。

投稿日:2013年11月12日(火) 05:06

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)