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抜け雀

「おもしろ古典落語」136回目は、『抜(ぬ)け雀(すずめ)』というお笑いの一席をお楽しみください。

相州(神奈川)の小田原に、夫婦二人だけの小さな宿屋がありました。
「ちょいと、おまえさん。2階にいる3番のお客さん、どうするつもりだい。あれから5日になるけど、朝から酒ばかりのんで、やれ刺身をもってこいの、酢のものがいいのと、かってなことばかりいって、それでいて勘定のことは、かの字もいわないよ」
「あんまりきついことをいうな。はじめに約束したんだからしかたがない。『酒はまいにち朝昼番に1升、まずいものは食わぬ。とりあえず100両もあずけておくか』というから、『お立ちのおりでけっこうです』っていったんだ。そのてまえ、5両たまろうが、10両たまろうが、おれから催促はいえるか」
「みえばかりはって、そんなこというんだ。それじゃ、わたしがいってくるよ」

「ごめんくださいまし」
「おう、おかみか。いま呼ぼうと思っていたとこだ。ゆうべのかつおの刺身がうまかったから、今朝もあの刺身に酒を1升たのむぞ」
「ご注文のものはもってまいりますが、じつは旦那さま、お勘定がこれまでに5両ほどたまっております。きょう酒屋へ払いをしなくてはなりません。お手元に5両ございますれば、ちょいと、お立て替えねがえませんでしょうか」
「うむ、5両か。あいにくいまは、こまかいのが手元にない」
「大きいのでもよろしゅうございます。つりをもらいますから」
「大きいのもない。きれいなもんだ。あるのは鼻紙に、たもとくそばかりだ」
「おや、あきれた。それじゃぁ、お勘定はどうしてくださるんです?」
「おまえではわからぬ。亭主をよこせ。そんなフグみたいな顔した女ではわからぬ」

プンプンふくれたおかみさんから、いきさつを聞いた亭主が、座敷にまいります。ところが男は、金はないのいってんばり。
「だってあなた、お泊りの時に、百両預けようかとおっしゃいました」
「あれは、うそだよ。おまえを安心させて、うまいものを食う計略だ」
「こりゃおどろいた。金がないのなら、早くたってくださったらいいじゃないですか」
「たつには勘定を払わなくてはならない。しかたなく、がまんしてやったんだ」
「がまんなんかしないでけっこう、さっさとたってくださいまし。やっぱりかかぁのほうが、目が高いや」

「そうぶつぶついうな。それではたってやるが、このままたっては心持ちが悪い。なにかかたをおこう。そこにある白いついたては、白いままでおくのか」
「このあいだ、あなたのように金のない表具(たてぐ)屋が泊まりましてな、宿賃のかたに張っていったもんで、書家の先生でも泊まったら書いてもらうつもりでした」
「じゃ、ちょうどいい、わしが絵をひとつかいてやろう」
「へぇ、あなたは絵かきさんですか。なんとおっしゃるんで」
「おまえのような唐変木(とうへんぼく)に、名などいえない」

亭主をこき使ってすずりと筆を用意させ、墨をすらせると、いっきにかきあげました。
「なんでございます、これは」
「おまえの顔のまゆ毛の下でギラギラしてるのはなんだ」
「目です」
「見えないならくり抜いて銀紙でも張っとけ。雀が5羽だ。1羽1両で5両。亭主、わしはこれから江戸へいくが、帰りには金を持ってきて、この絵をかならず請(う)けだすから、それまではだれにも売ってはならぬぞ」
「こんな絵が売れますか」
「きさまにはわかるまい、買い手があっても売るなよ」
「買い手なんぞつきっこないですから、ご安心なさい」
男は、絵の下に小さなハンコを押すと、そのまま発っていきました。

とんだ客を泊めたと夫婦でぼやいていると、2階で鳥の鳴き声がします。どうしたことかと男の泊まっていた部屋を開けると、5羽の雀が飛びまわっています。そのうち、5羽の雀が、絵の中に飛びこんだではありませんか。夫婦は、顔をあわせてびっくりぎようてん。

これが、「世にも不思議な5羽の抜け雀」と、小田原じゅうの評判を呼んで見物人がひっきりなしです。
そのうわさは小田原城主にも伝わり、お忍びでこのついたてを見ると、いたく気に入って千両で買い上げるといいます。でも宿の亭主は、この絵をかいた男から、買い手があっても決して売るなといわれているといわれ、その男が請けだしにきたら知らせるようにと帰りました。
殿さまが千両といったという話は、またまた評判になって、宿屋は押すな押すなの大繁盛です。

そんなある日、六十すぎの品のいい老人が絵をみたいと、やってきました。
「うーむ。この雀は死ぬぞ」
「えっ、ご冗談でしょ。絵にかいたものが死ぬなんて」
「いや、そうでもない。たとえ絵でも抜けだして飛ぶくらいのものは、必ず死ぬであろう」
「どうして死ぬんですか」
「抜けだしても、羽を休めるところがないから、そのうち疲れて落ちてしまう。落ちたら3文の価値もない。なんというものがかいた」
といいながら、下にあるハンコを見て、
「ああ、このものならこのくらいはかくであろう。亭主、すずりを持ってまいれ。ちょっと筆を入れてやろう」
「ごめんこうむります。千両のついたてを、汚されてはかないませんから」
「汚したりはせぬ。わしが筆をくわえりゃ、千両が二千両になる」

「えっ、二千両? お願いいたします」
すずりをもってくると老人は、ついたてに、ちょいちょいちょい。

「なんでございます、これは」
「おまえの顔のまゆ毛の下でギラギラしてるのはなんだ」
「目です」
「見えないならくり抜いて銀紙でも張っとけ」
「のんだくれと同じこといってる」
「鳥かごじゃ。飛んでる鳥も、このかごに入って羽を休める。そうすりゃ、この雀たちは無事だ」
なるほど、雀が飛んでくると、鳥かごに入り、止まり木にとまりました。
「いゃー、おどろきましたなぁ。あなたさまのお名前は?」
「おまえのような唐変木に、名などいえない」
「いゃー、まえの先生と、いうことまでおんなじだ」
そのまま、老人はにっこり笑って行ってしまいました。

さぁ、これがまた大評判になって、とうとう殿さまがまた現れて感嘆し、この絵を二千両で買いとるといわれると、亭主は腰を抜かしましたが、りちぎに絵師が帰ってくるまで待ってくれと売りません。
それからしばらくして、りっぱな身なりの侍がやってきました。
「あー、許せ。ひと晩やっかいになるぞ」見ると、あの時の絵師ですから、亭主は飛び上がって喜びました。

老人が鳥かごを描いていったいきさつを話すと、絵師は二階にあがり、びょうぶの前にひれ伏すと「いつもながらご壮健で……」
聞いてみると、あの老人は絵師の父親だといいます。
「いかに年若とはいえ、かかることに心づかざりしかと、さだめしお笑いあそばしたでござろうが、不孝のだんは、お許しください」
「おや、泣いてるぜ……もし、旦那さま、あなたぐらいの名人になったら、なにも不孝なことはございますまい」

「いや亭主、りっぱな不孝であろう。親を『かごかき』にした」


「12月12日にあった主なできごと」

1834年 福沢諭吉誕生…慶応義塾を設立するなど、明治期の民間教育を広めることに力をそそぎ、啓蒙思想家の第一人者と評される福沢諭吉が生れました。

1862年 英国公使館を焼き討ち…1858年の「日米修好条約」に反対する長州藩士・高杉晋作らは、幕府を窮地に立たせようと江戸・品川に建設中のイギリス公使館を焼き討ちにしました。

投稿日:2013年12月12日(木) 05:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)