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二十四孝

「おもしろ古典落語」の126回目は、『二十四孝(にじゅうしこう)』というお笑いの一席をお楽しみください。

「八五郎か、そんなとこに立ってねぇで、こっちへあがんな」「へぇ、座りました。なにか食わせますか?」「なんにも食わせねぇが、叱言(こごと)を食わしてやる。この長屋にや、三六軒あって、子どものいる家もあるが、みんな静かに暮らしてる。それが、おまえの家じゃ三日もあげずにけんかをするな」「いえ、毎日です」「なんだって毎日するんだ」「わけを聞かれるとこまるんですが」「じゃ、きょうはどうした?」「友だちんとこから、いきのいい魚をもらいました。湯にいってくるから魚に気をつけろって、水がめの上においてでかけやした。ところが、帰ってみると魚が影も形もありません。かかぁに聞いたら『知らねぇ』ってんです。ばばぁに聞いたら『おや、知らないよ』ってんです。むこうの屋根をひょいと見ると、となりの泥棒ネコが大あぐらをかいて、もそもそ食ってやがる」「ネコがあぐらをかくか」「しゃくにさわったから、『やい、こんちくしょう、こっちへ出てきやがって、尋常に勝負しろ』って、いってやった」「すると、うちのかかぁが『おとなりには、ふだんからいろいろごやっかいになってるのに、そんなこというもんじゃないよ。たかが、ネコのしたことで』っていうんで、『てめぇなんか、だまってひっこんでろ』って、ポカリとなでました」「なでた? ははぁ、ぶったな」「するってぇと、おふくろが、『なんで、そんなことをするの』って、かかぁの肩を持ちやがるから、ばばぁもそっとなでた」

「おまえってやつは、親に手をあげるやつがいるか。むかしから、親不孝をするようなやつにろくなやつはいねえ。おまえのようなやつに、店(たな)を貸しとくわけにいかねぇから、店をあけろ。出ていけ」「出てけって、そんな」「ああ、入用の節は、いつなんどきでも、すみやかに明け渡すっていう店請証文が、こっちにゃ入ってるんだ」「へぇ…、しかしおどろいたな、おまえさんにそんなに怒られるとは思わなかった。あたしが悪けりゃ、あやまりますよ」「悪けりゃとはなんだ、しじゅう悪い」「そんなこといわねぇで、どうかひとつごかんべんを」「よし。『わたしは、まことに親不幸でございました。これから心を改めまして、親孝行にはげみますから、どうぞ長屋へおいてくださいまし』」「ええ、その通りでござい…」「おれのいったんで間にあわせなるな」「へぇ、あやまります。親を大事にしますんで、どうかこの長屋においてください」「おまえの年になって、親を大事にするのに気がつかねぇってのは、大ばかやろうだ。年よりというのは、老いさきの短いものだ。一日でもひと月でも、ていねいにして、たべたいものを食わせ、見たいものを見せて、たいせつに養いな。それが順ぐりになる。親によくしておけば、また、子にたいせつにされる。親孝行の順ぐりだ、わかったか」「へぇー、すっかりわかりました」

「ついでだからいっておくが、唐土(もろこし)の二十四孝を知ってるか?」「自慢じゃねぇが知りません」「そうか、じゃ、この中で、おまえによくわかるのを話してやろう。……王祥(おうしょう)という人があった」「ああ、寺の?」「和尚じゃねえ。王祥という 名前の人だ。この人はまま母につかえて大の孝行者だ。寒中のことだが、おっかさんが鯉(こい)が食べたいとおっしゃたが、貧乏ぐらしで鯉を買えない。そこで釣りざおを持って池へ釣りにいったのだが、厚い氷がはっているので釣ることができない。しかたがないから、氷の上へ腹ばいになっていると、そのあたたかみで氷がとけ、その間から1ぴきの鯉がとびだしたので、これをおっかさんに食べさせた…、どうだ、えらい孝行だろう」

「うふっ、笑わしちゃあいけねえ。そんなばかな話があるもんか」「どうして?」「だって、うまく鯉がとびだすだけの穴があいたなんて。からだのあたたかみで氷がとけたんなら、てめえのからだごとすっぽりと池んなかへおっこちるのがあたりめえだ。もしも泳ぎを知らなかったら、あえなくそこで土左衛門(水死人)だね」「ところが、そんなことはなかった。おまえのような親不孝者ならば、あるいは一命を落としたかもしれないが、王祥は大の親孝行だ。その親孝行が天の感ずるところとなったのだ」「へー、天が感じるんですかねぇ。てえしたもんだ」

「孟宗という人があって、寒中に母がたけのこの吸い物が食べたいとおっしゃった」「唐土のばばぁてぇのは、どうして食い意地がはってやがんのかな」「なにしろ寒中で雪がふってる時分にたけのこというんだから、こりゃあ無理な話だ。しかし、どうかさしあげたいものだと、鍬をかついで竹やぶへいって、あちこちとさがしてみたが、どうしてもみつからない」「そりゃぁそうでしょう」「孟宗は、これでは母に孝をつくすことができないてんで、天をあおいで、はらはらと落涙(らくるい)におよんだ」「なんです、ラクライってのは」「涙をこぼしたんだ。すると、足もとの雪がこんもり高くなった。鍬ではらいのけると、手ごろのたけのこが、地面からぬーっとでた」「へーえ、いい仕掛けになってますねえ」「いい仕掛けってやつがあるか。さ、そのでないはずのものがでるというのが、孝行の徳によって天の感ずるところだ」「ほかにも、ありますか?」

「呉猛(ごもう)という貧しい人に、おっかさんがいた」「唐土には貧乏人と、ばばぁしかいないんですかい?」「だまってお聞き。ある夏のこと、ひどく蚊がでるが、貧しいから蚊帳(かや)がない。なんとかして、おっかさんだけでもゆっくり眠らせたいと、近所の酒屋で少し酒をもらってきて、はだかになってこれを身体にふきつけ、うつぶせになって寝た」「そりゃ、蚊に食われたろうね」「ところが、1びきも出ない」「おかしいな、蚊は酒が好きだっていいますぜ。あっ、そうか、呉猛の孝行を、天が感じたんですね」「そうだとも、だから、おまえも孝行しろよ」

八五郎、さっそくまねしようと家に帰りましたが、母親は鯉はきらいだし、たけのこは歯がなくてかめないという。そこへ、知り合いの辰五郎が通ります。「おい辰、おめぇんとこじゃ、えらく仕事がいそがしいっていうじゃねぇか」「うん、ばかにせわしなくてな。身体の調子が悪くても、休むこともできねぇ。早めに仕事を引き上げて、親父に、熱燗で三合ばかし飲ましてくれってたのんだら、まだ明るいうちだからって飲ましてくんねぇ、しゃくにさわったから、かってにしろって家を飛びだしてきた」

「このやろう、親不幸なやつだ」「なにいってやがる。てめぇこそ、評判の親不幸じゃねぇか」「きょうから、孝行者になったんだ。きさまは、もろこしの、二十四孝なんて知るめぇ」「てめぇは知ってんのか?」「知ってるとも、よく聞けよ。孝行のしたいじぶんに、…親はしわくちゃだってんだ」「孝行のしたいじぶんに親はなし、ってんだろ」「いいんだ、ちょっとばかし違ってたって。モロコシにホーボーって人がいた」「おかしな名前だな」「これが、まま母につかえている大孝行、寒中に母が鯉を食いたいという。なんとかかなえてあげたいと、竹やぶに入って探したが、鯉が出てこない」「竹やぶに鯉なんていないよ」「だまって聞け。やぶをにらんで、天をあおいで、カンラカラカラとうち笑い、それから泣いていると、こんもり雪がもりあがって、クワではらってみると、鯉がはねあがった。これを持って帰って、母に食べさせた。どうだ、すばらしい親孝行だろう」「でも、竹やぶから、なんで鯉がでるんだ?」「そこが、きさまたちにゃわからねぇとこよ。ホーボーの孝行の徳を、天が感じたんだ」「そうか。まぁ、いわれてみりゃ、おれも家を飛びだしたのは悪かった。思い直して親孝行をするか、ありがとうよ、さいなら」

「あっはっは、どうだ、意見をして帰ぇしてやったぞ。どうだ、ばぁさん、鯉はきれぇで、たけのこがだめじゃ、しかたねぇな…、ああそうだ、かかぁ、すまねぇが酒を五合ばか、買ってきてきてくれ。親孝行にとりかかるんだ。ばぁさん、もう寝なよ」「まだ、あたしゃ寝ないよ」「寝ろったら、寝るんだ。親孝行をするんだからな。これから酒をからだに吹っかけて、ばぁさんが蚊に食われねぇようにしようってんだ」

ところが、酒を見た八五郎、身体にぬるはもったいないと、グビリグビリやってしまい、グウグウ高いびき。「おいおい、八五郎や。これ、起きなさい」「あっ、ありゃ、ばぁさん、なんだい?」「「なんだいじゃないよ。お日さまが、こんなに高くあがってるよ」「あー、いい気持ちだ。しかし、親孝行ってのはてぇしたもんだな。おれが酒飲んで、すっぱだかで寝てたのに、蚊が一匹も食ってねぇ。うーん、天が感じてくれたなぁ」

「なにをいってやがる、あたしが夜っぴて、あおいであげてたんだ」


「8月2日にあった主なできごと」

1922年 ベル死去…聾唖(ろうあ)者の発音矯正などの仕事を通じて音声研究を深めているうちに、磁石式の電話機を発明したベルが亡くなりました。

1970年 歩行者天国…東京銀座・新宿・渋谷などで、歩行者天国が実施され、ふだんの日曜日の2.4倍もの人びとがくりだしました。この日の一酸化炭素濃度が、ふだんの日の5分の1になったことから、車の排気ガス汚染を食い止め、汚染のない環境をとりもどそうと、全国各地に広まるきっかけになりました。

投稿日:2013年08月02日(金) 05:53

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)