児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  おもしろ落語 >  おしの釣り

おしの釣り

「おもしろ古典落語」129回目は、『おしの釣(つ)り』というお笑いの一席をお楽しみください。

「おいおい、与太郎、そんなとこへ突っ立ったまんま笑っているやつがあるか」

「えへへ、どうも、七兵衛さん、驚いた」

「妙なあいさつだな」

「なんだってね、七兵衛さんは、釣の名人だって、ほんとか?」

「まあ、名人といわれるほどでもないが、釣は好きだな」

「釣の好きな人は出世するって、大家さんがいってた。弁天さまは、釣竿(つりざお)と鯛を持ってるって」

「あきれたね、それは恵比寿(えびす)さまだ」

「ああそうか、どっちでもいいや。支那のなんとかって人は、3年もの間、魚を釣ってたって?」

「ああ、太公望というお方だな」

「ふうん、それはなにか、支那の魚屋の親方か」

「困ったやつだな。太公望という方はな、竿(さお)をおろしながら学問をしてたんだな。魚を釣ったんじゃぁない、天下をお釣りになった」

「ふうん。よく持ち上がったな。けど、七兵衛さん、おまえさんみたいな釣の名人でも、釣れないときだってあるだろ?」

「まあ、たくさん釣れぬ日はあっても、まるっきり釣れないというのはないな」

「へぇっ、名人でも釣れない日があるってのに、七兵衛さんだけが釣れるってのは、どうしてだ」

「あたしはな、実はあまり人の行かないところで釣るんだ」

「人の行かないとこに、魚がいるのか?」

 「いるな。殺生(せっしょう)禁断の場所というのを知っているか?」

「知らない」

「知らねぇだろうな。上野にある寛永寺の池は知ってるな。あそこへ鯉(こい)を釣りに行くんだ」

「あそこは、魚をとると、捕まるって聞いたぞ」

「そこでだ。夜中に行くから誰にもわからない」

「へぇ、そりゃすごいや。七兵衛さん、あたいも連れてっとくれよ」

「だめだ。おまえのようなのを連れてった日にゃ、とんでもないことになる」

「なら、いいよ。そのかわり、あたい、しゃべっちまうよ。七兵衛さんは、殺生禁断の場所、上野・寛永寺のお池で、夜中に鯉を釣ってるって。これから、お湯屋と髪結床へいってこようっと……」

「おいおい待て、与太郎。そんなことされたら、一日で町内じゅうに広まっちまうわ。まあ、うっかり口をすべらせたおれがが悪かった。それじゃこうしよう。今晩、今晩だけ連れてってやろう。日が暮れたら、呼びにおいで」

「あいよ、わかった、さよなら」

「七兵衛さん、七兵衛さん、そろそろ出かけましょ。日が暮れましたよ、七兵衛さん。殺生禁断の場所。ところは上野の寛永寺。お池の中にゃ鯉がいる。七兵衛さ〜ん」

「ばか。こっちへ入れ。しょうがねぇな、大声でどなってやがる。世間じゅうへ聞こえちまうじゃないか。向かいのおしゃべりばばぁに聞こえたらどうする」

「ははぁ、そうか。そいつは気がつかなかったな。それじぁこれから、向かいへあたい、行ってくる」

「なにしに」

「今あたい、七兵衛さんそろそろ出かけましょう、殺生禁断の場所、ところは上野の寛永寺、お池の中にゃ鯉がいる。これだけいいましたが、どれが聞こえましたかって」

「念の入ったばかだな、おまえは。さぁ、この道具貸してやるから大事に使うんだぞ」

「あたいね、もう、釣らないうちから、どきどきしてきちゃって。えへへ、この魚籠(びく)いっぱいなるのか?」

「なるな」

「へぇ、こんなにか。ねぇ七兵衛さん」

「なんだ」

「殺生禁断といやぁ、やっちゃいけないってことだよね」

「そうだ」

「釣をしてはいけないなら、見張りがいるね」

「いるよ。山同心っていうお役人が二人いて、六尺棒持って回ってるんだ。見つかった日にゃ、いきなり六尺棒でぽかりだ」

「ぽかりと、くるの?」

「3つばかりくる」

「どこをぶつかな」

「そうだなぁ、やっぱり頭かな」

「どっち側?」

「そんなことは分からねぇ」

「できたらね、あたいは、こっち側に願いたい。こっち側には、おできができてる」

「そんなことは向こうが知るわけないだろ。『こらっ!』といいながら、『ここは殺生禁断の場所、知って釣ったか、知らずに釣ったか』とくるな。たいていのやつは、『はい、知らずに釣っておりました』と謝っちまう。が、こいつはちょっとまずい逃げ口だ。いっそのこと、むこうが思いもつかねえことをいうんだ」

「思いもつかないことって?」

「『おおせではございますが、殺生禁断てぇことは、よく存じております』と、こういうんだ。向こうは怒る。『知らずに釣ったとあらば、許しようもあろうもの、存じながらとは不届き千万』と、ここでまたぽかりだ」

「ははぁ、おかわりだ」

「おかわりってやつがあるか。これだけたたかれりゃ、ひとりでに涙が出てくる。涙を先方に見せながらな、わたくしには一人の父、ここは母でもかまわねぇよ、とにかくそいつがおりまして、長らく寝ております。鯉が食べたいと申しますが、なにしろこの貧乏暮らし、とても買い求めることができません。悪いこととはぞんじながら、殺生禁断の池へ参りました。この鯉を、親に食べさせて喜ぶ顔を見ますれば、名乗って出る所存でございます、と、お役人の顔をじっと見ながらいうんだ。むこうさまにも情けってものがあるだろう、まして孝行の二字は重い」

「ああ、あんなに重いもんはねぇ」

「よく知ってるな」

「うん、こないだ、頼まれて持ち上げた。重えの重くないの」

「なんの話だ」

「こうこの石、たくわん石」

「まるで分かってねぇな……いいか、おまえはここで釣りな、あたしはあっちで釣ってるから」

「はなれ離れは心細いや。ここでいっしょに釣ろうよ」

「だからおまえは、ばかだってんだ。二人して釣ってるところを見つかってみろ、親孝行が二人して釣ってるのは、どう考えたっておかしいじゃねぇか。もしもね、あたしの方へ来て、ぽかぽかってやられたら、わぁとか、きゃぁとか大声を出すから、おまえは逃げちまいな」

「うはは、ありがてぇ」

「ありがたがってるんじゃねぇ。もしも、おまえの方に来たら……」

「いえ、よござんす」

「よござんすじゃぁ困るんだよ」

「それじゃぁ、あっちで釣ってら」

「そうか、じゃ、しっかりお釣りよ。おまえの方に来たら、おまえがぎゃァとか、わぁとかいうんだぞ」

離れたところで釣りはじめた二人。最初のうちはそれほどではありませんが、だんだん、だんだん魚が寄ってきますと、今度はえさをつけるのも間に合わないくらい。与太郎は、きゃぁきゃぁいいながら釣っておりますと……

「ご同役、近頃はよいあんばいに、この池で釣りをいたす者がおりませんな」

「さよう。ありがたいことで、いくらお役目とはいえ、ひっ捕らえるってのは、どうも心持ちよろしくないもの、できれば……おやおや、ご同役、ご覧くだされ。そう申しておるそばから、あそこで釣りをしておる者がいる。夢中になって釣っておる、不届きなやつだ。まったくうかうかできませんな……。こらっ、かようなところで、釣をいたしてはならん(ぽかり)」

「あいてて、いてぇ、おいでなすったな」

「なにがおいでなすっただ、こらっ(ぽかり)」

「いてぇ、痛えよ。ああ、あ、とうとうおできがつぶれちゃった」

「なにを申すか。ここをどこと心得る。殺生禁断の場所。知ってて釣ったか、知らずに釣ったか」

「えへへ、そこが肝心だ」

「何を申すっ、こらっ(ぽかぽかぽか)」

「いたい、おう痛ぁ、おまけをくらっちゃった。へぇ、その、なんでございます。殺生禁断、知ってて釣った」

「なにいっ、こやつ、知らずに釣ったとあらば、了見のしようもあるが、知ってて釣るとは、なんたる不届き、思い知れっ(ぽかぽか)」

「わぁっ、いたい、いたい、痛いよ、それじゃ約束が違わい、痛いってば、おう痛ぇ、あ、こんなに涙が出てきやがった。ははあ、これだな、あの、あのう、おおせではございますが、あたくしには、一人の、父、父と母があらぁ」

「それがあるから、その方が生まれたんだ(ぽかり)」

「あ、いたい、父や母の……」

「父や母がどうした」

「父や母が、寝ています」

「なに、両親が寝ておる?」

「へい、へい、両親、両親、その両親が病気で寝てら、鯉が食べたいっていうんだけど、銭がないから鯉が買えない。悪いと知ってながら、この鯉を親に食べさせ、喜ぶ顔を見てから、わたしは名乗って出るつもりでございますと、ここでお役人の顔をじっと見る。お役人だって人間だ、まして孝行の二字は重ぇや、えへへ、いかがなもんでござんしょう」

「お聞きになりましたか、実にどうも、たいへんなばかですな。しかし、おろか者ではありますが、親孝行とは感心なもの、いかがしましょう、見逃してやりましょうか?……おい、その方、名はなんと申す」

「はあ?」

「その方の名前だ」

「えへへ、あります」

「そりゃあるだろう、なんと申す」

「あたいの名は、与太郎さん」

「おのれにさんをつけるやつがあるか。親孝行にめんじて、特に今夜は許してつかわす。魚は釣ったか」

「へえ、そりゃもう、何しろ、この魚籠いっぱいで、これ以上入らねえってくらい。風呂敷かしてください」

「ばかを申すな。そのまま持ち帰ってよい。親を大切にしろよ」

「へえ、まあ、ようがしょ」

「よかあない、忘れものはないな」

「へい、またきます」

「きてはならん」

「……ああ、おどろいたね、どうも。ずいぶん釣っちゃったな、こんなに釣ったのなんてはじめてだ。その代わり頭もこぶだらけ。親孝行はきくね、忘れもののないようにっていってたな……忘れもの、忘れもの、忘れ……そうだ、たいへんだ、七兵衛さんに知らせるの忘れちゃったぞ。きゃぁとか、ぎゃぁとかいわなくちゃいけないんだ。もいっぺん行って、聞いてみよう……えへへ、こんばんは」

「また来たな、早く帰れ」

「えへへ、忘れものなんで」

「忘れもの、あれほど申したのに、しょうがないやつだ。忘れたものはなんだ」

「えへへ、その、きゃぁてのをひとつ」

「きゃぁだと? なんだそれは? いいからとっとと帰れ」

「へい、弱ったね、こりゃぐずぐずしてると、またぽかりだな、弱ったなぁ……まあいいや、おいらもぶたれたんだから、七兵衛さんもぶたれりゃいいや」と、与太郎はそのまま帰ってしまいました。

「あれは見逃してやっていいことをしましたなぁ」

「ああ、親孝行てぇのは心持ちのいいもんで……おや、ご同役、また一人、釣りをしておりますな、ほれ、あそこに」今度は二度目ですから、はさみうち。

「これっ、また釣っておるかっ」と、六尺棒を打ちおろしました。また釣っておるか、「また」という言葉が耳に入ったから七兵衛さん、ばかがしくじったなと思うと、とたんに舌がもつれて、声が出ません。

「あ、あっ、あぅ、あぅ、う、う、う」

「ご同役、あまりおぶちなさるな、こやつ、おしと見えて、口をききません。……その方はおしか?」これを聞いて七兵衛、この際、ひとつおしで押し通そうと、「……あぅうぅあぅ」

「おしですな。ここはな、殺生禁断の場所、と、いったところで、わかからぬか。ううん、困ったな。これこれ、かようなところで(その辺りをさし)、このようなこと(釣のしぐさ)をいたすと、このような目(後ろ手にしばられる形)にあうぞ。その方は (七兵衛を指し)、存じて(自分の胸を指し)、釣ったか(釣しぐさ)? 知らずに(手を左右に振って)、釣ったか(釣しぐさ)?」

「ふあぁ、ふえぇ、うはっ(あたりを指し、釣のしぐさ)」

「うん、なに? ここで釣ることを?」

「うははぁ(指で丸をこしらえ両眼に当てぱっと開いたあと、後ろ手にしばられる形になり、自分の胸を指しなんどもうなずく)」

「なに、見つかるとしばられることを知って釣ったのか?」

「ふえぇ(うなずく)」

「どうやら、身どものしゃべることは聞こえるらしい」

「ふえぇ(しきりにうなずきながら、自分の耳を指す)」

「耳は聞こえる? 厄介なおしだな。……なぜ、かようなところで釣をいたした」

「うふぇ、うあぁ」といいながら、七兵衛は、けんめいなジェスチャー。(右手の親指を出し『父が』、鉢巻をまく形、右手で腕まくら『病気で寝ている』、左腕の脈を右手で診て首を横に振る『余命いくばくもない』、ひじを脇にくっつけて両手を肩のところでばたばたと動かしてから(魚の形)、しきりに食べるしぐさ『魚が食べたい』。指で丸を作り、これを前に出す。右手を左右にふる『金がない』。また魚の形、釣りのしぐさ、両手にものを乗せ、さし出し食べるしぐさ。にこっと笑い、また食って笑ってみせる『釣った魚を食べさせて、喜ぶ顔を見れば』という意。うなずき、手を後ろに回し、頭を深々と下げる)

「ご覧になりましたか。まず親指を出し、はち巻をしめて、寝て、脈を取りましたな。これめの親が寝ておりますな。魚の泳ぐ真似をして、食べる真似をして、ははァ、鯉が食べたいが金がない。釣った魚を食べさせて、喜ぶ顔を見てから、名乗り出る所存と、こういうわけか?」

「うふぇ(なんどもうなずく)」

「うむ、また親孝行か。さっきのがばかの親孝行で、今度がおしの親孝行。みょうに今夜は、親孝行のはやる晩ですな。しかし、ばかを許して、おしを召しとらえるわけにもいきますまい。これも許しましょう。これ、その方、名はなんと申す……といってもいえぬか」

「ふえぇ(指を1本ずつ開き、七で止め、右手であかんべえをする)」

「指が7つで七、それに、あかんべえ、おぅ、その方、七兵衛と申すのか」

「ふえぇ(うなずく)」

「ううん、なるほど、手まねでもって自分の名を申した。許してやるぞ」

「(思わず)ありがとうございます」

「はぁあ(感心して)、器用なおしだ。口をきいた」


「8月28日にあった主なできごと」

1708年 シドッチ屋久島へ上陸…イタリア人宣教師シドッチが屋久島に上陸。鎖国中だったため捕えられて江戸に送られ、新井白石の訊問を受け幽閉されましたが、このときのやりとりは後に『西洋紀聞』にまとめられました。

1862年 メーテルリンク誕生…『青い鳥』など劇作家、エッセイスト、詩人として活躍し、ノーベル文学賞を受賞したメーテルリンクが生まれました。

1929年 ツェッペリング号世界一周…全長236mものドイツの飛行船ツェッペリング号は、約12日間かけて世界一周に成功しました。しかし飛行船は、実用的には飛行機にかなわず、現在では、遅い速度や人目につきやすい特長をいかして、広告宣伝用として使われています。

投稿日:2013年08月29日(木) 05:16

 <  前の記事 「姉川の合戦」 と浅井長政  |  トップページ  |  次の記事 『複合汚染』 の有吉佐和子  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/3156

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)