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鬼の面

「おもしろ古典落語」131回目は、『鬼の面(おにのめん)』というお笑いの一席をお楽しみください。

大きな商家の河内屋に、住みこみで奉公にきているおせつは、まだ十二になったばかりの女の子。毎日、そうじやせんたく、子もりなどをして働いています。きょうも、赤ん坊を背負って、道具屋の前にやってきました。

「おじょうちゃん、いつもこの店にきて、お面を見てるけど、なんのお面をみてるんだい?」

「このお面、あたしの、おっ母さんにそっくりなの」

「ほう、このおたふくのお面にそっくりなんだね」

遠くの里から、奉公に来ていると聞いた道具屋のおやじさん、しばらく考えていましたが

「よーしきめた。これ、おじょうちゃんにあげるよ」

「えっ、ほんと?」

「あげるから持っておいき、そのかわり、大事にするんだよ」

おせつは、なんどもなんどもお礼をいって、うれしそうに店に帰りました。

それからというもの、自分の部屋の箱の中へお面をしまい、これを母親と思って「おっ母さん、おっ母さん」と、しゃべりかけ、さびしさをまぎらせていました。

そんなある夜、おせつの部屋から、人に語りかけている声が聞こえるのを不思議に思った店の若旦那、翌朝、おせつにお使いをいいつけ、その留守に部屋を調べてみると、箱の中からおたふくのお面が出てきました。若旦那は、おせつが、このお面を母親と思って話しかけていたと知ると、とっさに、いたずらを思いつきました。おたふくのお面と、こわい顔をした鬼の面を入れかえ、おせつをびっくりさせようと考えたのです。

ところが、店が忙しくなってしまい、いたずらしたことをすっかり忘れてしまいました。そうとは知らないおせつは、箱の中を見てびっくりぎょうてん。おたふくのお面が、こわい顔をした鬼の面に変っていたからです。

「たいへんだ、里のおっ母さんに、なにかあったんだ」

鬼の面を手にとると、実家の里まで半日もかかる道を、歩いていくことにしました。

帰るとちゅうのこと。暗くなりはじめた草原のむこうから、なにか、とてもいいにおいがしてきます。おなかがペコペコになっていたおせつは、なにか食べものにありつけるかもしれないと、においのする草原をかきわけていくと、顔にススキが当たって痛くてたまりません。そこで、持っていた鬼のお面を顔につけて進んでいくと、なん人かの男たちが、たき火をしながら、お堂の中でばくちをしているところでした。ガサガサ音をたてながらやってくる音に、見張りをしていた男がなんだろうと身構えると、たき火に浮かび上がってきた鬼の顔です。

「出た、みんな逃げろ」とどなったものですから、みんなは警察の手入れと勘違いして、いちもくさんに逃げてしまいました。風呂敷包みが落ちていましたが、おせつは気がせいているので、おにぎりをひとつだけもらって、わが家へ急ぎました。

「おせつじゃないか、どうしてこんな夜遅くに」父親の利平はびっくりしました。

おせつは鬼の面を見せながらわけを話し、母親に異変のないことを知ってほっと胸をなでおろしました。ところが、店のだれにも知らせずにもどったと聞いた利平は、すぐに河内屋につれもどそうと、おせつを大八車にのせ、急いで家を出ました。もどる途中、お堂の一件をおせつから聞いた父親は、真っ暗闇の中に、残されたままの風呂敷包みをひろうと、大八車にのせて河内屋へいそぎました。

さて、河内屋の方では、真夜中になってもお店の者が総出で、おせつの行方をさがしているところでした。そこへ、父親の大八車にのせられたおせつが、無事にもどって来たので、ようやく一安心です。しかし、騒動の原因が若旦那のいたずらとわかり、若旦那は、主人から大目玉をくらいました。

「ところで、その近江屋さんの印がある風呂敷包みはなんだい? もしかして…」 おせつから、いきさつを聞いた主人は、最近ぬすまれたと聞いていた近江屋へ、若旦那に風呂敷包みをとどけさせました。

「まちがいありませんでした。盗まれたものがそっくりあったそうです」

「おお、そりゃよかった」

「明日にでも、警察に届け出るそうです。ばくち打ちのしわざだとしたら、名乗りでることはないと思われるので、おせつと、利平さんには、来春にでもお礼をさしあげたいとおっしゃってました」

「よかったな、おせつ。利平さんもお疲れでしょうから、こちらでお泊りください」

「ありがとうございます」…と、おせつが鬼の面に目をやると、鬼が笑っています。

「あっ、旦那さま、さっきまでこわい顔をしていた鬼の面が、笑っております」

「そりゃそうだろう、来年の話をしたからな」


「9月27日にあった主なできごと」

1825年 蒸気機関車初の開業…イギリスの発明家スチーブンソンが蒸気機関車を実用化してから11年後、ストックトン〜ダーリントン間19kmを走る世界初の鉄道が開通しました。蒸気機関車はその後数十年で世界中に広まり、産業革命に大きな貢献をしました。

1917年 ドガ死去…「舞台の踊り子」(エトワール)などたくさんの踊り子の絵を描いた画家ドガが亡くなりました。

投稿日:2013年09月27日(金) 05:49

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)