「おもしろ古典落語」125回目は、『半分(はんぶん)あか』というお笑いの一席をお楽しみください。
むかしは江戸と大坂の両方に相撲(すもう)がありまして、こっちからむこう、むこうからこっちという具合に、東西交流のようなことがさかんでした。
ある江戸の相撲取りがありまして、ごひいきすじからこんなことをいわれました。「関取、おまえさん、いちど上方の土俵に上がってみないか。大坂でみっちり修行をしたら、きっと、もっとりっばな相撲取りになるにちがいない。ひとつ、上方へいって修行をしておいで」「ありがとうございます。それでは、女房を家へ残して参りますので、なにぶんよろしく、おねがいいたします」「ああ、いいとも。万事引き受けたから、安心して行きなさい」ってんで、すっかり支度をしてくれましたから、関取も喜んで上方へ出かけました。ある部屋へ弟子入りしまして、それから三年というもの、精進努力を重ねまして、今や堂々と、上方の幕内力士に出世いたしまして、「故郷へ錦」を飾ろうと、江戸へと帰ってまいりました。
「こんちは。関取はいるかい?」「おやまあ、これは、ごひいきの三河屋さま」「おかみさん、関取が江戸へもどったと聞いてやってきたんだが」「はい、ゆうベ帰ってまいりました」「えらく出世をしたそうだが、さだめし、大きくなってきただろうね」「はい、おかげさまで、ずいぶんと大きくなりました。家の外でゴーンゴーンと、つり鐘が鳴りますので、おどろいてとびだしてみましたら、つり鐘じゃありません。関取が、いまもどったという声が、つり鐘のようにきこえましたの」「雷だね、そりゃ。上背なんぞ、そうとうあるだろうね」「はい、あたしは急いで表へ出たんです。そしたら、顔なんぞ大屋根の上のほうにつきだしてまして、顔は雲にかくれて、はっきり見えなかったんです。家へ入ろうとしたら、戸や障子がはずれたり倒れたりしたものですから、戸障子をはずして、這(は)ってはいりました」かみさんのホラは、どんどん続きます。足が汚れているので大だらいを持ってきたのに足が入らないので、しかたなしにヒョイと足を伸ばして近江の琵琶湖でザブザブ洗ったの、上方から帰る途中に牛を三びきふみつぶしたの、大ぶとんを出してかけてやったらヘソしか隠れないの、いいたいほうだいです。「しかし、えらい力士になったもんだ。寝てるのなら起こさなくていいよ。もうまもなく、こちらの場所が始まる。およばずながら関取の人気が出るようにするから、じゃ、さよなら、よろしく伝えておくれ」
「おい、かかあ!」「はーい。あら、おまえさん起きていたのかい。 起きていたのなら、ちょっと、ごあいさつに出てきておくれよ」「わしが顔を出せるか」「なぜ出せないんだい?」「いいか、よく聞けよ。『大きくなっただろう』なんてのは、浮世の世辞(せじ)だろ。それを真に受けて、声がつり鐘のようだの、頭が雲の上に入って見えなかっただの、亭主を化け物あつかいにする気か。『家のなかに這ってはいった?』おまえは、いったいなん年、相撲取りの女房をやっているんだ。相撲稼業をしていて、這うだの、はずれたの倒れたのというのは、忌み言葉といって、縁起がわるいから、寝ごとでもいうものじゃない。足を洗おうとしたら、大だらいに入らないから、近江の琵琶湖へ足を伸ばしてジャブジャブ洗っただと? 江戸にいて琵琶湖にまで足が届くか? そんな大ボラ吹いてるところへ、このわしがノコノコあいさつに出られると思うか。
おまえのような愚か者には、いってもわかるまいが、これも話のひとつだからいってきかせる。わしが上方からのもどり道、東海道は名所古跡もたくさんあるが、なんといっても名物は、三国一の富士の山だ。どこへいっても、あんなに大きくて、形のよい山はない。三島の宿近い、ある茶店で休んでいたときだ。富士の山がよう見える。茶店の女子(おなご)が、茶をくんできたから、わしはその茶を飲みながら、その女子にむかって、富士山をほめたのじゃ。
『ねえさん、このりっぱで大きな富士山を、こうして、朝夕見て暮らすというのは、おまえさんがたは、なんと幸せものじゃ』こういったら、その女子がな、自分のことをほめられたように恥ずかしがって、『お関取、そんなにおっしゃいますが、こうして朝夕ながめていると、それほど大きいとは思われませぬ』というから、わしが『それでも、あんなに大きいじゃないか』というと、『大きく見えますけれども、あれは半分は、雪でございます』と、なんと、いうことがかわいいじゃないか。わしは、その茶店の女子の言葉をきいて、もう一度、富士山を見あげたら、山が三倍も四倍も大きく見えた。おまえのような女には、こんなことは、とてもいえまいが、ひとの話も、よくきいて、頭へ入れておけ」「なんですねぇ、そんなにポンポン云わなくても、わたしだって、家に富士山があれば、そのくらいのことはいえますよ」「バカめ。家の中に富士山があるかい。このおたふくめ」「どうせ、おたふくでございますよ。……それじゃ、大きくいわずに、小さくいえば、いいんですね」「そうじゃ。小さくいえば、それだけ大きいものが、なお大きく見える。おぼえておけ」
さんざっぱら小言をいって、関取、奥へはいって休んでいますと、こんちはぁといってきましたのが、さっきのごひいきの旦那の、知りあいの客です。「あらまあ、ようこそいらっしゃいました。どうぞ、おあがりくださいまし」「いや、かまってくださるな。ときにおかみさん、いま、横丁で、三河屋にあったんだが、関取は、ずいぶん大きくなって帰ってきたそうだね。なんでも、『もどった』という声が、つり鐘のようで、出て見ると頭が、雲の上、それに、足を洗うのが近江の琵琶湖。道中で牛を三びきふみつぶしたんだってね。関取が大きくなったと、三河屋さん、なみだを流してよろこんでたよ。いやぁ、あたしだって関取を、およばずながら応援してるんだ。そいつを聞けばうれしくって、すぐにとんできたんだよ」「それはどうも、ありがとうぞんじます」「おかみさん、関取は、そんなに大きくなったのかい?」
「いいえ、それが、大ちがいで…小さくなって帰ってきました」「小さくなった? かつぷしじゃあるまいし…けれども、たった今、三河屋の話じゃぁ、いまもどったという声が、つり鐘のようだったというじゃないか」「いいえ、つり鐘どころか、虫の息…」「虫の息? 病人だね、まるで……で、出てみたら、頭が雲の上とか…」「それじゃ化け物でございます。わたしの連れそう亭主を、化けものあつかいにしないでくださいまし。雲の上から、風がピューと吹いてきましたら、コロコロコロッと、家の中へころがりこんできたので……」「かんなっくずだね。でも、家へはいるとき、ガラガラっと戸や障子がはずれたり、倒れたりしたとか…」「もし、あなた、気をつけて口をきいてくださいまし。はずれるの、倒れるのというのは、相撲かぎょうの忌み言葉。寝言にも口にするものじゃございません」「いや、こ、これはすまなかった。気を悪くしないでおくれ。いやぁ、こりゃ、叱られにきたようなもんだな」「戸や障子が倒れたのではありませぬ。戸のすきまからはいってきたのでございます」「足を洗おうとしたら、大だらいに足がはいらず、琵琶湖へいって足をジャブジャブと…」「いいえ、そんなところへ行ったら、さがすのになんぎをいたします。どんぶり鉢(ばち)の中で、ジャブジャブ行水(ぎょうずい)を使わせました」「それじゃ、小鳥だ。上方から帰るとちゅう、牛を三びき、ふみつぶしたってね」「いえ、牛でなく、ムシを三びき…」「なんだよ、ウシじゃなくてムシかい? なんか、あたしがからかいに来たようだねぇ、かんべんしておくれよ。しかし、あの三河屋、いったいなにを聞いてきたんだ。大ぶとんをかけたら、ヘソしか隠れなかったって話は?」「いいえ、ざぶとんをだしたら、くるくるとくるまって、寝てしまいました」「赤んぼだね、まるで……」
奥できいていた関取。バカバカしいやら、おかしいやら。それでも、大きいといわれるより、小さくいわれたほうが出やすいとみえまして、玄関に出てまいりました。「ああ、これは、おいでなさい。ゆうべもどってまいりました。どうかまた、ごひいきのみなさまのお力で、当地の場所も、よろしくおねがいもうします」「いやぁ、これは関取。うーん、いやぁ、これはりっぱになった、大きくなったなぁ……おいおい、おかみさん、うそをついちゃぁいけないよ。なにが小さいものか。こんなに大きいじゃないか」「いいえ、朝夕、見ておりますと、それほど大きいとは思われませぬ」「いやいや、そうではない。あのとおり、大きいではないか」
「いえ、あれは半分、あかでございます」
「7月22日にあった主なできごと」
1363年 世阿弥誕生…室町時代に現在も演じられる多くの能をつくり、「風姿花伝」(花伝書) を著して能楽を大成した世阿弥が生まれました。
1822年 メンデル誕生…オーストリアの司祭で、植物学研究を行い、メンデルの法則と呼ばれる遺伝に関する法則を発見したメンデルが生まれました。
1888年 ワクスマン誕生…結核菌を死滅させるストレプトマイシンなど、20を超える抗生物質を発見したウクライナ出身のアメリカ生化学者ワクスマンが生まれました。