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「京都五山の祖」 夢窓疎石

今日9月30日は、鎌倉時代末から南北朝時代の臨済宗の禅僧で、南北朝和解のとりなしをした夢窓疎石(むそう そせき)が、1351年に亡くなった日です。

1275年、伊勢国(三重県)に生まれた夢窓は、4歳の時、母方の一族の争いで甲斐国(山梨県)に移住しました。9歳で平塩寺に入門し、空阿に師事しました。真言宗や天台宗を学び、1292年に奈良の東大寺で受戒した2年後に京都へ入りました。ところが、臨済宗建仁寺の無隠円範(えんぱん)に接したことがきっかけとなって禅宗に帰依します。その後、鎌倉へおもむき、円覚寺、建長寺、万寿寺などで禅宗を学ぶものの悟りをひらくことができず、1305年浄智寺で悟りを証明する「印可」を受けることができました。

1311年には、甲斐の龍山庵(浄居寺)をはじめたのち、美濃国に永保寺を開き、土佐国、上総国、相模国など各地の寺庵に滞在して禅の道を深めていきました。

1325年、後醍醐天皇の要請で上洛すると、南禅寺の住職をつとめましたが、翌1326年には鎌倉幕府の執権北条高時に招かれ、円覚寺に滞在して高時らの信仰を得ました。1330年には甲斐に恵林寺を開き、1333年鎌倉幕府が滅亡すると、建武の新政を開始した後醍醐天皇に招かれて、ふたたび南禅寺の住職となり、臨川寺の開山を求められ、夢窓国師という国師号を授けられました。

しかし、建武政権から離反した足利尊氏や弟の足利直義らが北朝を擁立して京都・室町に武家政権(室町幕府)を開くと、臨川寺に移った夢窓は、足利家の帰依も受け、1339年には、西芳寺(苔寺)を禅寺として再興させたり、南北朝和解のとりなしをしました。同年に南朝の後醍醐天皇が亡くなると、元寇以降の戦没者の冥福を祈るため、諸国(66国・2島)に安国寺を建立し、利生塔を設置しました。さらに、後醍醐天皇の霊をなぐさめるため、尊氏に京都嵯峨野に天龍寺を建立させ、その開山となりました。

1334年には、『夢中問答集』を著しています。この3巻からなる著書は、足利直義らに禅の理論を80項目にわたって、わかりやすく説いたもので、いまも、禅の研究者の貴重な資料とされています。また、注目されるのは、夢窓の開いた禅寺には、禅の精神がこめられたすばらしい庭園が造られていることです。京都の西芳寺や天龍寺などは、いまだに、たくさんの観光客を集めています。

なお、夢窓に帰依した足利尊氏は、京都にある禅寺を幕府の政治、政略的に利用しようと、南禅寺(別格)、天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺を五山と定めました。これは、3代将軍義満ら室町時代に「五山」の学問や文学の興隆をもたらしました。


「9月30日にあった主なできごと」

1472年 王陽明誕生…中国が明とよばれていたころ、儒教の流れをくむ「朱子学」に対し、日常生活の中での実践を通して人の生きるべき道をもとめる「陽明学」という学問の大きな流れを作った思想家の王陽明が生まれました。

1913年 ディーゼル死去…空気を強く圧縮すると高い温度になります。この原理を応用して、空気を圧縮した筒のなかに液体の燃料を噴射して自然発火させ、爆発力でピストンを動かすエンジンを発明したディーゼルが亡くなりました。

1999年 東海村で臨界事故…茨城県東海村の核燃料施設で臨界事故が発生、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名のうち、2名が死亡、1名が重症となったほか、667名の被曝者を出しました。

投稿日:2013年09月30日(月) 05:44

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)