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「西国無双の侍大将」 陶晴賢

今日10月1日は、戦国時代の武将で、主君の大内義隆をほろぼした陶晴賢(すえ はるかた)が、1555年に亡くなった日です。

1521年、中国地方西部の周防・長門・石見・豊前を治める戦国大名・大内氏の重臣・陶興房の子として生まれた晴賢(初めの名・隆房)は、子どものころから美男子として知られ、主君の大内義隆にかわいがられて育ち、1539年に陶氏の家督をつぎました。

文学や芸能に親しんだ大内義隆に対し、晴賢は武士として質実で倹約の生活を重視する人物でした。1540年に晴賢は、尼子晴久が吉田郡山城を攻めたとき、毛利元就の援軍として大内義隆から総大将の権限を与えられて尼子軍を撃退しました。

ところが義隆は、ますます文化に傾倒しだし、文治派で周防の守護代だった相良武任を重用したことから、晴賢と不仲になっていきます。1545年晴賢は、武任を強制的に隠居に追いこんで、大内家の主導権を奪ったのに対し、1548年義隆は、武任を評定衆として復帰させました。そのため晴賢は1550年、武任の暗殺計画をたてたところ、事前に義隆に知られ、晴賢は大内家での立場を失ってしまいました。こうして、義隆と晴賢の対立は決定的なものとなり、1551年1月、身の危険を感じた武任が逃亡したのを機に、晴賢は挙兵して長門国(山口)を攻撃、義隆を大寧寺で自害させました。

1552年晴賢は、大友宗麟の弟を大内義長と名乗らせて新当主とし、自ら大内氏の実権をにぎりました。そして、大内氏内部を統制するために、徹底した軍備強化を行いました。ところが、この晴賢の政策に反発する領主らも少なくなく、1554年、強く反発した石見の吉見正頼の討伐に出兵したところ、そのすきを主君の仇打ちを口実に毛利元就が兵をあげ、安芸国(広島県)にある大内方の城の大半を陥落させました。

1555年、晴賢は自ら2万から3万もの大軍を率いて安芸国西南部に入り、厳島に攻め入ったところを毛利軍の奇襲によって敗北、毛利元就に味方する村上水軍によって退路を断たれ、自害しました(厳島の戦い)。この後毛利氏は、中国地方全域を支配する有力大名になっていきます。


「10月1日にあった主なできごと」

1847年 中江兆民誕生…「東洋のルソー」とよばれ、自由民権思想を広めた明治期の思想家の中江兆民が生まれました。

1949年 中華人民共和国成立…第2次世界大戦中、共産党の毛沢東は国民党の蒋介石と力を合わせて、日本との戦争に勝ちました。ところが蒋介石はアメリカと組んで共産党をしりぞけようとしたため、3年にわたる内戦がはじまりました。その結果、蒋介石は台湾に逃れ、この日毛沢東を主席とする新しい中国(中華人民共和国)が生まれました。中国の人たちはこの日を「国慶節」(建国記念日)と決めて、毎年にぎやかなお祭りを行ないます。

1964年 東海道新幹線開業…10日にはじまる「東京オリンピック」に間に合わせるために、この日開業。それまで東京─大阪間は特急で6時間50分かかっていた時間を3時間も短縮しました。

投稿日:2013年10月01日(火) 05:00

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)