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今に生きる向田邦子

今日8月22日は、『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』などのテレビドラマ脚本家、『父の詫び状』などのエッセイ、また作家としても活躍した向田邦子(むこうだ くにこ)が、1981年の飛行機事故で亡くなった日です。

1929年、東京・世田谷に生まれた向田邦子は、父親の勤務の都合で、1歳で宇都宮に転居したのをはじめ、東京・目黒と鹿児島市の尋常小学校、香川・高松の国民学校と高等女学校、転校した目黒の高等女学校を卒業するなど、幼少期から日本全国を転々としながら育ちました。1947年、実践女子専門学校(いまの実践女子大)国文科に入学してからも、一家は父の転勤で仙台市に転居したため、向田は母方の祖父母の家に下宿して学生時代を過ごしました。

1950年卒業後は、財政文化社の社長秘書として2年勤務し、1952年に雄鶏社に入社して雑誌『映画ストーリー』の編集にたずさわるようになりました。そのかたわら、アルバイトでラジオの台本を書いているうち好評をえて、やがてテレビの脚本も依頼されるようになります。自信をえた向田は、1960年に同社を退社し、フリーライターとして独立しました。

1964年から放送開始したテレビドラマ『七人の孫』は人気をよび、脚本家として有名になると、その後は『だいこんの花』『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』など、テレビドラマを次々に書き、どれも高視聴率を獲得しました。高度成長期に移りかわっていく世の中を、昭和ヒトケタ生まれの庶民の感覚を研ぎ澄ませて書いた脚本は、3千本以上といわれています。

1980年になると、放送界の仕事で長く蓄積してきたものを、エッセー『父の詫び状』『手袋をさがす』『字のない葉書』や、短編小説の連作『思い出のトランプ』を著し、この連作のうち『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』は、同年の直木賞を受賞しています。さらに、『あ・うん』『隣の女』など話題作を連発しましたが、1981年のこの日、取材旅行中の台湾で、遠東航空機墜落事故により急死してしまいました。わずか51歳、これからが期待されていただけに、とても残念な死去でした。

1983年には、向田の功績を記念して優れた脚本に対して与えられる「向田邦子賞」が創設されていますが、向田の人気はいまだにおとろえず、三十三回忌の今年も、『阿修羅のごとく』が舞台化されたり、『寺内貫太郎一家』の脚本をもとに小説化された作品が刊行されるなど、関連出版のリメークが続いています。


「8月22日にあった主なできごと」

1358年 足利義満誕生…室町幕府第3代将軍で、南北朝の合一を果たし、「金閣寺」を建立して北山文化を開花させるなど、室町時代の政治、経済、文化の最盛期を築いた足利義満が生れました。

1910年 日韓併合…日本は明治のはじめころから、朝鮮半島を勢力範囲にしようと乗りだしていましたが、日清戦争・日露戦争に勝利してから、じょじょに植民地化していました。やがて軍事、外交、警察権を奪い内政にまで干渉するようになったことに対し、反日運動が強まり、1909年に初代統監となった伊藤博文射殺事件がおきました。日本政府はこれを期に、朝鮮政府に圧力をかけ、日韓併合の条約に調印をさせました。

1943年 島崎藤村死去…詩集『若菜集』『落梅集』で、近代詩に新しい道を開き、のちに『破戒』や『夜明け前』などを著した作家の島崎藤村が亡くなりました。

投稿日:2013年08月22日(木) 05:52

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)