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「安政改革」 の阿部正弘

今日6月17日は、幕末に幕府の老中首座として日米和親条約を結び、安政改革を断行した阿部正弘(あべ まさひろ)が、1857年に亡くなった日です。

1819年、備後(広島県)福山藩主で、当時幕府の老中だった阿部正精(まさきよ)の6男として江戸藩邸に生まれた阿部正弘は、1836年18歳のとき福山藩主となり、1840年には幕府の寺社奉行にばってきされました。寺社奉行として3年余の働きが高く評価された正弘は、1843年わずか24歳で、幕府最高の要職老中に任じられ、水野忠邦が天保の改革で失脚したあとの幕政に参加、1845年には老中首座となって諸事を切り回すことになります。

当時は、オランダ、イギリス、フランス、ロシアなどヨーロッパの列強が、直接、間接に日本との国交や通商を求めてきており、正弘はオランダからの情報を得て、外国船打払いの状況ではなく外国と敵対して開戦することは危険であること。外国勢力と対抗するには、最新の軍艦の製造など、近代的な軍備をととのえ、海防を充実させることが急務であることを理解していました。そのため正弘は、海防掛を設置して外交・国防問題に当たらせることにし、品川台場の建設、洋式大砲の鋳造、航海練習所設立など、これまでにない軍事改革、洋学重視の政策をつぎつぎに打ち出していきました。いっぽう、薩摩藩の島津斉彬、越前藩の松平春嶽ら諸大名から幅広く意見を求め、水戸藩の徳川斉昭を海防掛参与に推せんしました。

1853年にアメリカの使節ペリーが黒船で来航、ついでロシアの使節プチャーチンが来日して開国を求めると、正弘は諸藩の協力を求めるものの容易に結論が出せず、そのため、幕府の威信を低下させることになったことはいなめません。そして、1854年のぺりーの再来航を期に開国を決意し、「日米和親条約」を締結することになり、ひきつづき、日英、日露、日蘭と同じような条約を締結しました。

こうしたなかで正弘は、江川英龍、勝海舟、高島秋帆らを登用して海防の強化に努め、講武所や長崎海軍伝習所、洋学所などを創設しました。また、西洋砲術の推進、大船建造令の緩和など幕政改革(安政の改革)に取り組みました。しかし、正弘は、多事多難の幕政に専心してきた心労と、和親条約を締結したことに反対し続ける攘夷派の非難を鎮静させようと、1855年に老中首座を掘田正睦(まさよし)に譲り、自身は次席となって幕政をささえました。しかし、その2年後、39歳の若さで急死してしまいました。


「6月17日にあった主なできごと」

1869年 版籍奉還…明治新政府は、藩の土地(版)と人民(籍)をこれまで治めていた藩から、天皇に返す「版籍奉還」を開始しました。

1877年 モース来日…アメリカの動物学者のモースが来日し、縄文時代の貝塚「大森貝塚」を発掘したことがきっかけとなって、日本に近代科学としての考古学がスタートしました。

1972年 ウォーターゲート事件…ワシントンのウォーターゲートビルにあるアメリカ民主党本部に、盗聴器をしかけようとしていた5人組が逮捕されました。共和党のニクソン大統領が、次の大統領選に有利にするため、相手方の様子を知ろうとしたためとされ、1975年8月、ニクソンは大統領辞職に追いこまれました。

投稿日:2013年06月17日(月) 05:25

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)