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サルと地蔵さま

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 89]

むかし、あるところに、じいさまとばあさまがありました。ソバやアワを畑に作って暮らしていましたが、ようやく実がなるようになると、山からサルがぞろぞろやってきて、畑を荒らしまわります。「また、サルが荒らしたんですね」「うん、こまったやつらじゃ」「なにかいい方法はないものですかね」「そうじゃ、サルたちは、お地蔵さまのまえではおとなしいというから、お地蔵さまに化けてみるか」「でも、そんなことしたら、バチがあたりませんか?」「そんなことはあるまい。畑の作物を守るためだもの」ということで、じいさまは、ソバ粉を身体じゅうにぬりつけて、お地蔵さまになりすましました。

そこへ、サルたちがやってきました。「ありゃ、こりゃどうした。いつのまにか、りっぱな地蔵さまが立ってるぞ」「きりょうよしの地蔵さまじゃないか」「こんなとこにおいといちゃ、もったいないな。川むこうにある、お堂に移そう」「そうだ、それがいい」こういうと、サルたちは手車を組んで、じいさんをのせました。そして、こんな歌をうたいながら、川に入っていきました。

サルのおしりはぬらすとも
地蔵のおしりはぬらすなよ
ヨイヤサ ヨイヤサ……

じいさまは、おかしくて、おかしくて、吹きだしそうになりました。でも、いっしょうけんめいがまんしました。サルたちは川を渡ると、古びた小さなお堂の中に、じいさま地蔵をすえると、どこから持ってきたのか「お地蔵さまにさしあげます」「お地蔵さまにさしあげます」といいながら、つぎつぎとお賽銭(さいせん)をあげては拝み、どこかへ行ってしまいました。

じいさまは、サルたちがすっかりいなくなると、山となったお賽銭を拾い集めました。その中には、じいさまが見たこともない金貨や銀貨もまじっていました。「わしにお供えしてくれたのじゃから、わしがもらってもええんじゃろ」と、家に持ちかえりました。「あんれ、まぁ。こりゃ、たいへんなお宝じゃ」と、ばあさまといっしょに大喜びしながらながめているところへ、となりの欲ばりばあさまがやってきました。

「あんりゃぁ、どうしたんじゃそりゃ」そこで、じいさまは、これまでのことをくわしく話してあげました。「そりゃ、いいことを聞いた。おらんちのじいさまにもやらせよう」と、ふっとんで帰ると、欲ばりばあさまは、いやがるじいさまを裸にすると、ソバ粉をぬりたくり、お地蔵さまに仕立て上げました。まもなく、サルたちがやってきて、「ありゃりゃ、またこんなとこに、お地蔵さまがいなさるぞ」「川向うのお堂に移そう」と、手車を組んで川に入り、あの歌をうたいます。

サルのおしりはぬらすとも
地蔵のおしりはぬらすなよ
ヨイヤサ ヨイヤサ……

となりのじいさまは、おかしくて、くすぐったくて、ぷっと吹き出し「ワッハッハ…」と大笑い、目も開けてしまいました。「やや、こりゃ、人間じゃないか」「ニセの地蔵さまだ」と、手車をといたものですから、じいさまは、川の中へドブンと転がり落ち、プクラプクラと、流されてしまいました。なんとか、柳の枝にしがみつき、ずぶぬれになって岸にあがり、泣きべそをながら、家へ帰りついたということです。


「6月18日にあった主なできごと」

1815年 ワーテルローの戦い…エルバ島から脱出したフランス皇帝ナポレオン1世は、イギリス・オランダ連合軍およびプロイセン軍に、最後の戦いとなる「ワーテルローの戦い」で敗れました。

1940年 レジスタンス…ヒトラー 率いるドイツとの戦いに敗れ、首都パリが陥落すると、フランス軍将軍のド・ゴールはイギリスへ亡命することを決断。ロンドンのBBCラジオを通じて、対独抗戦の継続と抵抗(レジスタンス)をフランス国民に呼びかけました。

1945年 ひめゆり学徒隊集団自決…太平洋戦争の末期、沖縄では一般市民を巻きこんだ地上戦が行なわれていました。この戦いで、負傷兵の看護を行なってい女子学徒隊は、軍に解散命令を出されたことでアメリカ軍に包囲された洞窟内で、49名が集団自決をしました。さらに沖縄戦終了までに、生徒123人、教師13人が亡くなりました。その霊をなぐさめ、悲劇を二度とくりかえしてはならないという願いをこめた「ひめゆりの塔」が、沖縄県糸満市に建てられています。

投稿日:2013年06月18日(火) 05:46

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)