たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 88]
むかし、三人の王子がいて、上の二人の王子は冒険がしたくなって旅に出ました。でも、遊ぶのが楽しくなって、家にもどれないほど、おちぶれてしまいました。そこで「お人よし」とあだ名されている末の王子が、兄たちを探しにいくことになりました。苦労して二人を見つけたところ「おれたちは、おまえよりずっとりこうなのに、やっていけなかったんだ。おまえがやっていけるわけがない」と、ばかにしました。
三人そろって旅を続けるとちゅう、アリの巣が塔のように高くなっているところに出ました。それを見つけた兄たちは、塔をほじくりだして、アリが大騒ぎするのを見ようといいましたが、弟は、「生きものは、そっとしておいてやろうよ。アリのじゃまをするなんていやだ」と、いいました。
それから三人は、湖に出ました。カモがたくさん泳いでいのを見て、兄さんたちは、2、3羽つかまえて焼き鳥にしようといいましたが、弟は、「生きものは、そっとしておいてやろうよ。殺すなんて、とてもぼくにはできない」と、とめました。
やがて三人は、ミツバチの巣を見つけました。兄さんたちは、木の下でたき火をして、ハチをいぶり殺してハチミツを取ろうといいましたが、弟は、「生きものは、そっとしておいてやろうよ。いぶり殺すなんて、とんでもない」と、またとめました。
そのうち三人は、りっぱなお城につきました。ところがお城のウマ小屋には、石のウマがいるだけで、どこにも人の気配がしません。三人は、広間をいくつも通りぬけて、いちばん奥の戸の前にきました。戸のまん中に小さな窓があったので、のぞいてみると、しらがまじりの小人がみえました。三人はかわるがわる小人に呼びかけましたが、返事がありません。そのうち小人は、なにもいわずに石版を掲げました。その石版には「次の三つの仕事をやりとげると、この城は魔法からすくわれる。ただし、その日の太陽が沈む前に仕事ができなかったなら、挑戦しようとした人間は石になる」と、書いてありました。
一つ目の仕事は、森のこけの下にかくされた、千個の王女の真珠を、一つ残らず探し出すことでした。一番上の王子は、「よし、おれがやる」と名乗り出て、一日さがしましたが、見つけられたのは、たった百個だけでした。石版に書いてあった通り、上の王子は、石に変えられてしまいました。よく朝、二番目の王子が挑戦することになりました。でも、見つけることができたのは、兄の倍の二百個だけでした。そのため、やはり石に変えられてしまいました。
こんどは、「お人よし」の弟王子が挑戦する番です。こけの下にある真珠をみつけるのは、なかなかむずかしい仕事で、とても時間がかかりました。もうだめだと、石にこしかけて泣いていると、前に助けてやったアリの王さまが、五千びきものアリを連れてきてくれて、あっというまに千個の真珠を、全部ひろい集めてくれました。
二つ目の仕事は、王女の寝室のカギを海の中からひろってくることでした。王子が海辺へ行くと、前に助けてやったカモたちがやってきて、水の底からカギを取ってきてくれました。
三つ目の仕事は、眠っている三人の王女の中から、一番年下の王女を見つけだすことでした。三人の王女は顔も姿もそっくりで、ちがいといえば眠る前にそれぞれちがった甘いものを食べたということくらいでした。いちばん上の王女はサトウのかたまりを、二番目の王女はシロップを少し、末の王女はハチミツをひとさじということでした。弟の王子がまくらもとに立つと、前に助けてあげたミツバチの女王がとんできて、ハチミツを食べた王女の口にとまりました。
こうして、弟の王子は、三つの仕事をみごとにやりとげました。すると、お城の魔法がとけて、みんな眠りからさめ、石にされていた者たちは人間の姿にもどりました。「お人よし」は、一番末の王女と結婚し、その父が死んだあと、お城の王さまになったそうです。
「6月13日にあった主なできごと」
1931年 北里柴三郎死去…ドイツのコッホに学び、ジフテリアや破傷風の血清療法の完成やペスト菌の発見など、日本細菌学の開拓者 北里柴三郎が亡くなりました。
1948年 太宰治死去…『人間失格』『走れメロス』『斜陽』『晩年』 などを著した作家・太宰治が、玉川上水で心中しました。