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「三井改革」 と中上川彦次郎

今日10月7日は、「時事新報」主筆をへて、三井の工業化をすすめて三井財閥の基礎を築きあげた中上川彦次郎(なかみがわ ひこじろう)が、1901年に亡くなった日です。

1854年、豊前国(大分県)中津藩士の子として生まれた中上川彦次郎は、15歳ころまで藩校「進脩館」で四書五経などを学んだ後、1869年に上京、母の弟である福沢諭吉の家に住みながら慶応義塾に学びました。卒業後は義塾の教師となりましたが、伊予宇和島藩立洋学会校長にばってきされました。1874年には、小泉信吉と共にイギリスへ留学、ロンドンで井上馨を知り、親しく接しました。

1877年に帰国すると、翌年に工部卿となった井上に誘われて工部省に入省、井上が外務卿となると中上川も外務省に入り、外務省太政官権大書記官となって井上の下で条約改正案の作成にあたりました。しかし、1881年大隈重信らが政府を追われる「明治十四年の政変」に伴い、外務省を辞し、福沢が創刊したばかりの「時事新報」の社長兼主筆となりました。5年間の努力があって、同紙を一流新聞に育て上げると、1887年に請われて新設された「山陽鉄道」(現・JR山陽本線)の社長となりました。

1891年には、井上の要請を受けて経営危機にあった「三井銀行」に入行、副長として実質的経営権をにぎると、武藤山治ら慶応義塾の若き俊秀を多く採用し、「世辞と愛嬌」というこれまでの三井の商法を改め、明治政府との不透明な関係を一掃して不良債権を回収するなど、近代化を次々に打ち出して、成功をおさめました。さらに、これまでの「商業路線」から、三井の事業の中心を「工業路線」に大転換をはかりました。芝浦製作所、王子製紙、鐘淵紡績、富岡製作所などを、三井の系列化にしたのもその一貫でした。このような改革は、日本産業界全体の「心臓入れかえ」ともいわれて注目を集めました。

1893年には、三井銀行、三井物産、三井鉱山の3合名会社制をとって、益田孝内閣といわれた三井物産を機構の下に組みこみ、三井銀行が総合指令部となり、中上川が総帥として君臨する形をとりました。

井上の反対を押し切って桂太郎の邸宅を差し押さえるなど、中上川の敏腕ぶりは財務体質の健全化を図りましたが、水面下ではすこしずつ中上川反対派が結成されつつありました。そして、日清戦争後の恐慌のなかで、井上や益田にあやつられたある新聞の三井銀行攻撃にあって腎臓病に倒れ、産業発展のかじ取りをするという遠大な夢を実現するにはあまりにも短い、48年の生涯を閉じてしまいました。


「10月7日にあった主なできごと」

1674年 狩野探幽死去…江戸幕府代々の御用絵師として、日本画を代表する狩野派の栄える基礎を築いた狩野探幽が亡くなりました。

1949年 ドイツ民主共和国(東ドイツ)成立…西ドイツ成立後1か月もたたないこの日、東ドイツが誕生。ソ連の助けを借りて、社会主義国家として第1歩をふみだしました。なお、41年後の1990年10月3日に両ドイツは統一を回復。アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の戦勝4か国は、ドイツに対してもっていたさまざまな権利を放棄して、統一ドイツは完全な主権をもった国家として国際社会に復帰しました。

投稿日:2013年10月07日(月) 05:36

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)