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大工と鬼六

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 85]

むかしあるところに、ものすごく流れの速い大きな川がありました。この川に、これまでなんどとなく橋をかけましたが、すぐに流されました。こんども大雨が降って、また流されてしまいました。「おれたちの手におえる川でねぇ」「どうすりゃ、がんじょうな橋が作れるだろうか?」「どうだ、橋づくりの名人に頼んでみては」ということになって、村人たちは、その地方でいちばん腕がよいという評判の大工の家を訪ねました。

「とうりょう、あそこに橋がかけられるのは、おまえさんしかねぇ、どうか引き受けてくれまいか?」みんなに頭をさげられて、大工は断るわけにはいかず、なんとか引き受けたものの、心配なので川を調べることにしました。うわさの川にやってきたところ、ごうごうと、はげしく渦をまいています。「いやぁ、こんな急な流れの川に橋をかけるのか。はてさて、えらい仕事を引き受けてしまったな」とうなってしまいました。

そのときです。流れのうずの中から大きな泡(あわ)がうかんできたかとおもうと、鬼が、にょっきり顔をだしました。「おい、大工。何を考えている?」大工はびっくりして、うしろにとびのきました。「こ、この川に、がんじょうな橋をかけてくれと、村人から頼まれた。で、どうしたらよいか、考えてたとこだ」「そうか。いい考えは浮かんだか?」「それが思いつかねぇ」「そうじゃろう。おまえがどんなに腕のいい大工でも、この川に橋はかけるのは無理だ」「なにかいい方法はないだろうか?」大工は、鬼が人のよさそうな顔をしているので、思いきってたずねました。「たったひとつ、いい方法がある。もし、おまえの二つの目ん玉をおれによこせば、おれがかわりに橋をかけてやってもいい」「えっ、そりゃ、ほんとうか?」「ほんとうだとも。人間はうそつきだが、鬼はうそをつかない。うそだと思うなら、明日の朝、ここへきてみろ」というなり、鬼はうずの中に消えていきました。

よく日、大工はまだ暗いうちから家を出て、川の岸辺にやってきました。すると、りっぱな橋が半分、川にかかっているではありませんか。「いやー、これは大した腕前だ」と、感心しながらながめていると、あの鬼が水の中から顔をだしました。「おい、どうだ。がんじょうな橋を作ってやったぞ。どうじゃ、目ん玉をよこす気になったか? よこすなら、明日は、この橋もできあがっとるぞ。どうじゃ」両目をやってしまったら、仕事ができなくなってしまいます。大工が返事に困っていると、「よぉーし、話は決まった」と、鬼は自分勝手に決めて、また、川の中へ姿をけしてしまいました。

そして、その翌朝も来てみると、りっぱな橋がみごとに完成しています。「どうじゃぁ、大工、約束どおり、きょうは、おまえの目ん玉をもらおうか」「ちょ、ちょっと待ってくれ。おねげぇだ、1日だけ、待ってくれないか。約束は、必ず守るから」「たしかに、大工が目ん玉がなくなったら、なにかと不便だからな。よし、こうしよう。もし、おれの名前を当てることができたら、ゆるしてやろう。でも、あしたの朝までだぞ。当てられなければ、なんとしても、目ん玉をもらう」と、いい残すと、また川の中へ消えてしまいました。

大工は、とぼとぼ歩きだしました。どうしたら、鬼の名前がわかるでしょう。いくら考えても、よい知恵がうかびません。あっちをふらふら、こっちをふらふらしているうち、気がついたら、みしらぬ森の中にまよいこんでいました。すると、どこからか、子どもの歌声がきこえます。それも、何人かの子どもが歌っています。よくみると、頭に角のある鬼の子どもたちです。「♪ ねんねんねんころ ねんころろ はよねた子にゃ 目ん玉あげる 鬼六 目ん玉持ってくる」鬼の子たちは、大工がそばにいるのも知らずに、おもしろそうに歌っています。これを聞いた大工は、あとも振り返らず、家まで逃げかえりました。

次の日の朝、大工が橋のところへ行くと、すぐに鬼が水の中から出てきました。「おい、大工。目ん玉をくれる気になったか」「いや。そんな気にはなれん。目がないと何もできないからな」「それじゃ、おれの名前を当ててみろ。むずかしいぞ。でも当てられなかったら、目ん玉をもらうからな」「わかった。やってみるぞ」大工は名前を考えるふりをしました。「おまえの名前は、橋かけ名人・鬼太郎」「違う、違う。はずれだ」鬼はケラケラ笑いました。「じゃ、おまえの名前は赤鬼八五郎」大工は、自信がなさそうに小さな声でいいました。「違う、違う。大はずれ」鬼は、また笑いました。「それじゃ、お前の名前は鬼八かな」「違う、それも違う。おまえにおれの名前が当てられるはずがない」でも、今度は鬼の顔がちょっと青ざめました。「じゃ、名前は、鬼七か」「違う、違う。もうだめだ。目をよこせ」鬼はそう叫ぶと、毛むくじゃらな腕を、大工に伸ばしました。「待った。名前は知ってるぞ。鬼六! お前の名前は鬼六だ!!」大工は、ここぞとばかり大声で叫びました。その瞬間、鬼はぽかっと川の中に消え、もう二度と姿をあらわしませんでした。

鬼六のかけた橋は、どんなに川の流れが急になっても、もうこわれたり、流されたりすることはありませんでした。


「5月23日にあった主なできごと」

811年 坂上田村麻呂死去…平安時代初期の武将で、初の征夷大将軍となった坂上田村麻呂が亡くなりました。

1663年 殉死の禁止…徳川4代将軍家綱は「武家諸法度」を改訂し、古くから武士の美徳とされてきた「殉死」(じゅんし・家来などが主君の後を追って自決すること)を禁止しました。

1707年 リンネ誕生…スウェーデンの博物学者で、動植物の分類を学問的に行って「分類学の父」といわれるリンネが生れました。

1848年 リリエンタール誕生…大型ハングライダーを開発して自ら操縦し、航空工学の発展に貢献したドイツのリリエンタールが生まれました。

投稿日:2013年05月23日(木) 05:03

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)