「おもしろ古典落語」の118回目は、『死(し)ぬなら今(いま)』というお笑いの一席をお楽しみください。
世の中にはいろいろな人がいますが、出すのは舌を出すのもいや、もらうのは犬のクソでもありがたくいただくという人がいました。そんなものもらってどうするのかというと、持って帰って植木のこやしにするそうで……これなんかは、町がきれいになってよさそうなものですが、仲間うちではあまり評判がよくありません。
そんなケチの代表格のような「しわいやのケチ兵衛」という男がおりました。爪に灯をともすようにして金を貯めこんできましたが、いよいよ年貢の納め時、せがれを枕元に呼びました。「寿命というものはどうすることもできない。で、死ぬ前におまえにいっておきたいことがある。わしは、一代で財産を築いてきたが、ずいぶんひどいこともやってきた。人さまを泣かせるようなことも、人にうらみを買うようなこともな。だから、死んだら、地獄に落とされるのは間違いない。そこで、おまえに一つ頼みがある」「おとっつぁんのおっしゃることなら、どんなことでも…」「そうか。どうだろう、棺桶ん中に三百両を小判で入れてもらいたい。地獄の沙汰も金しだいてぇから、金をうまく使えば、極楽へ行けるかもしれないからな」「うちの財産からいえば、三百両など、なんでもないことじゃありませんか」「ありがとう、安心したよ」といいますと、ケチ兵衛さん、気がゆるんだせいか、そのままコロッと息を引き取ってしまいました。
こうして、葬式がはじまりまして、ケチ兵衛さんをおさめた棺桶の中に、むすこが約束の三百両の小判を入れていますと、これを見た親類のおじさんが「いくら遺言だからといって、天下のお宝を、墓の中へ入れるなんてばかなことをしてはいけない」といいます。「でも遺言ですから」「いいかい、おやじはホンモノの小判を入れろといったわけじゃなかろう。ほら、芝居の小道具に使う小判があるだろう。あれだって、ちょっと見には、ホンモノと見分けがつかない。よし、知り合いの芝居の道具方に頼んであげよう」というわけで、ホンモノの小判と、譲ってもらった大道具のニセモノ小判と、そっくり入れ替えてしまいました。
こちらは死んだケチ兵衛。いつの間にか買収資金がニセ金にかわっいるともつゆ知らず、エンマ大王の前によびだされます。浄玻璃(じょうはり)の鏡に、この世での悪事がこれでもか、これでもかと映しだされます。「うーん、じつにけしからん奴だ」ただでさえ怖そうなエンマ大王が、もっと恐ろしい顔になったので、ケチ兵衛は、これはいけないと、そっと小判百両をエンマ大王のたもとに入れました。その重みで大王の体がグラリ。とたんに、やさしい顔になって「あー、しかしながらぁ、一代においてこれほどの財産をなすというのも、そちの働き、あっぱれである」というのを聞いて、鬼どもがぶつくさ不満をいいだしました。これはあぶないとケチ兵衛、残った小判を、赤鬼やら青鬼やら、みんなにまきちらしました。すると、ありがたいもので、ケチ兵衛は、極楽へスーッといってしまいました。
ケチ兵衛のまいたワイロで、地獄は時ならぬ好景気。エンマ大王をはじめ、赤鬼も青鬼も仕事などやめて、毎日朝から晩まで、飲めや歌えの大騒ぎです。そのうち、小判が回り回って極楽へ入って来ました。極楽の大将が、役人たちの前でこういいました。「この小判は、どこからまいった」「地獄からです」「なに? けしからん。かようなニセモノを取り締まるのが地獄の役目ではないか。よいか、すぐに地獄の者どもを召しとってしまえ!」ということになり、極楽から、貨幣偽造および収賄容疑で逮捕状が出され、捕り手一隊が地獄のエンマ庁を襲うと、エンマ大王以下、赤鬼青鬼、馬頭牛頭、見る目嗅ぐ鼻、冥界十王、正塚(しょうづか)の婆さんまで残らずひっくくって、牢屋へ入れてしまいました。
だから、「死ぬなら今」
「5月24日にあった主なできごと」
1409年 李成桂死去…高麗末の武官で、李氏朝鮮という王朝を開き、朝鮮の基礎を築いた李成桂が亡くなりました。
1543年 コペルニクス死去…当時主流だった地球中心説(天動説)をくつがえし、太陽中心説(地動説)を唱えたポーランド出身の天文学者コペルニクスが亡くなりました。
1949年 満年齢の採用…「年齢の唱え方に関する法律」が公布され、従来の「数え年」から、「満年齢」に変わりました。数え年は、生まれた年を1歳とし、新年をむかえるたびにひとつ歳をとる数え方に対し、満年齢は、生まれたときは0歳、誕生日がくると1歳を加える数え方です。