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歌う骨

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 83]

むかしある国で、いのししが畑を荒らし、家ちくを殺し、きばで人のからだをひき裂くので、みんなとても困りました。そこで王さまは、この苦しみから国を救ってくれるものには、たくさんのほうびをあげる、と約束しました。でもこのいのししは 大きくて強いので、いのししが住んでいる森に近づく勇気のあるものはありません。そこで王さまは、いのししをつかまえるか、殺すかしたものには、王さまの一人娘を妻にやると、おふれを出しました。

さて、この国に二人の貧しい兄弟が住んでいました。名のりでて、この冒険を引き受けようと考えました。兄はずるがしこいよこしまな心からやろうとしましたが、弟の方は、純すいで素直な心からやろうとしました。

王さまは兄弟にこういいました。「注意深くいのししを見つけ出すようにしなくてはいけない。それぞれ、反対側から森に入っていきなさい」そこで、兄は西の方から、弟は東の方から入っていくことにしました。弟がしばらくいくと、黒い槍をもった小人が歩みより、「おまえは、心が素直そうだからこの槍をあげよう。これを持っていれば、安心していのししに向かっていける。決してケガをすることはないからね」弟は小人にお礼をいうと、槍を肩にかついで、こわがらずにずんずん進んでいきました。しばらくすると、自分のほうにむかってまっしぐらにつき進んでくるいのししをみつけました。弟はもらった槍をいのししに突きつけていると、相手はそのままがむしゃらにつっこんできて、槍にぐさりと突きささり、心臓を真二つにされていました。弟は、いのししをを肩にかついで、王さまのところへ持っていこうと考えました。

森の反対側に出ると、入口のところに一軒の家があって、大ぜいの人が踊ったり酒を飲んだりして、どんちゃん騒ぎをやっていました。兄がそこへ入っていったとき、いのししが逃げ出すことはあるまいと、まずは一ぱい飲んでしっかり元気をつけるつもりでした。ところが、いのししをかついだ弟が森から出て来るのを見ると、ずるがしこいよこしまな心がむくむくおこり、落ち着いていられなくなって、弟にいいました。「おい、入ってゆっくり休んで、酒でも飲んで元気をつけるといい」

弟は、兄に悪だくみがあろうとは夢にも思わず、親切な小人が槍をくれたこと、その槍でいのししをしとめたことを話してきかせました。兄は弟を夕方まで引きとめ、いっしょに家に帰ろうとしました。ところが、真っ暗闇のなか、小川にかかっている橋のところにくると、兄は弟を先に渡らせて、川の真ん中へさしかかったとき、後ろからなぐりつけたので、弟は川に落ちて死んしまいました。兄は弟を橋の下に埋めると、いのししを奪って王さまのところへ持っていき、自分がしとめたと、うそをつきました。

王女を嫁にした兄は、「弟はいのししに、身体を引き裂かれたのでしょう」というので、だれもがそう思いました。でも、神さまの前にはなにごとも、いつまでも隠しておくことはできません。なん年か後のことです。一人の羊飼(ひつじかい)が、羊の群れをおってあの橋を渡りました。ふと下を見ると、砂の中にまっ白い小さな骨が見えました。これは、角笛のいい吹き口になると思った羊飼いは、骨を拾い、それをけずって自分の角笛の吹き口をこしらえました。さっそく吹いてみると、その小骨が、ひとりでに歌をうたいだしたのです。

羊飼さん、あなたはわたしの骨を吹きなさる
兄はわたしを殺し 橋の下にうめました
王女を嫁にもらおうと いのしし横どり手にいれて 

「ひとりでに歌うなんて、ふしぎな角笛だ。こりゃ、王さまにおとどけしなくちゃ」羊飼がそれを持って王さまのところへいくと、角笛はあの歌をうたい出しました。王さまは、その歌の意味がよくわかったので、橋の下の地面をほり返させると、弟の骨がそっくり出てきました。悪い兄は、自分のしたことを、もうごまかすことができません。そのため、袋の中に入れられ、生きたまま水に沈められてしまいました。それにひきかえ、弟の骨は、教会へ運ばれ、りっぱなお墓に葬られました。


「5月2日にあった主なできごと」

756年 聖武天皇死去…仏教を深く信仰し、全国に国分寺を建て、奈良の大仏を造った聖武天皇が亡くなりました。

1519年 レオナルド・ダ・ビンチ死去…『モナリザ』『最後の晩餐』など絵画の名作を描いたイタリア・ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ビンチが亡くなりました。

1948年 サマー・タイムの実施…欧米の政策を採り入れて、時計を1時間早めるサマー・タイムが実施されました。しかし、日本の生活習慣に合わなかったため、4年後に廃止されました。最近になって、エネルギーの節約と時間の有効活用のために、導入すべきだという声もきかれるようになっています。

投稿日:2013年05月02日(木) 05:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)